さあ、我が「超級龍熱」ブログ開設10周年記念特別企画、その第2弾は「我が青春のBFC回想録」全10回完全再録です。
当ブログのみをご覧頂いている方々には全ての回が初読となると思います。それでは1日に3回ずつ再録予定の「我が青春のBFC回想録」、どうぞお楽しみ下さい!!
「我が青春のBFC回想録」①
前からやろう、やろうと思っていたこの企画、突如本日スタートです(^_^)。でも恐らく何か出した思い時にパッと書く、といったペースになると思うので、思い切り不定期連載になるかと思いますが、よろしくお願いします。
さて、随分前に某オークションにBFCの会報が出品されていて、その商品説明覧に「あの知野二郎を輩出した日本のブルース・リーのファンクラブを代表するBFCの会報です・・・」的な事が書いてありました。そう書いて貰うのは個人的には大変光栄ですが、BFCのOBには私だけじゃなく、中村頼永さん、関誠さん、阿部剛さんなど錚々たる方々がいますし、FB朋友で今も俳優として頑張っている太賀たけしさんもそうですし、忘れちゃいけない伝説のリーさん信者ジミー荒木さんもいますからね。
それにBFCのスタッフとして会報に原稿を書き出す前の龍熱青年は、会報にはよく投稿していたんですが、そのくせ毎月1度板橋の事務局で行われていた会員の集会には全く行かなかったんですよ(^_^)。
なので、当時のBFCのN会長は事務局の人たちと「この龍熱って奴は毎月投稿して来るだけで、事務局から数駅の所に住んでるくせに全然集会に来ねえじゃねえか!」と大顰蹙の不良会員だったと、後からN会長から聞きました(^。^)。その私がN会長から貰った1本の電話が縁でBFC事務局にスタッフとして頻繁に出入りするようになる経緯は、また別の機会にしましょう。
だって折角この「死亡遊戯完全版」を掲載した号の会報「THE DRAGON」の写真を貼ったんですから、少しはその話もしないと駄目でしょう(^。^)。
もう随分前の話なので、何故この「死亡遊戯」のノベライゼーションを会報に書く事になったか・・・は殆ど覚えてないんですが、多分私が事務局で口を開くと「死亡遊戯」!「死亡遊戯」!と叫んでいたからでしょう(^。^)。
それを見ていたN会長が「俺が小説の前半を書くから、龍熱がリーたちが五重塔に入ってからの後半を書けよ!」となったんだと思います、多分ね。
あと当時のN会長は熱狂的なプロレスファンで、特に今では伝説化しているプロレス専門紙「週刊ファイト」のI編集長(故人)に傾倒していたんです。
それもあって、N会長はI編集長が同紙で執筆していた「ファイト・ドキュメンタリー劇場」みたいな小説を書きたくて堪らない!感じが私から見ても判ったので、それもこの「死亡遊戯完全版」誕生の理由だったと思います。
要するにこの「死亡遊戯完全版」はBFC編集部の2人の熱狂的なプロレス信者が書き上げた格闘浪漫溢れるノベライゼーションだったわけです。
それでもこの「死亡遊戯完全版」の後半、リーさんたちが五重塔に突入してからのクライマックスを担当した私はガチで大変な労力で書き上げた記憶があります。
改めて当時18歳前後の青年によくぞこれだけのボリュームのノベライゼーション、それも殆ど情報のなかった時代の「死亡遊戯」を題材とした小説を書き上げられたと、いま50代になった私自身が思います。
それは昨年、「死亡遊戯」をテーマとした“妄想遊戯”のある意味集大成である「死亡遊戯:完全版2015~AFTER THE GAME」を上梓した私にとっても、この18歳当時の龍熱少年が持っていた「死亡遊戯」という未完の大作に対する情熱と探究心をこれからも失わずにいたい!と強く思わせる本当に懐かしい思い出なのです。(By 龍熱~BFC会員番号152)
当ブログのみをご覧頂いている方々には全ての回が初読となると思います。それでは1日に3回ずつ再録予定の「我が青春のBFC回想録」、どうぞお楽しみ下さい!!
「我が青春のBFC回想録」①
前からやろう、やろうと思っていたこの企画、突如本日スタートです(^_^)。でも恐らく何か出した思い時にパッと書く、といったペースになると思うので、思い切り不定期連載になるかと思いますが、よろしくお願いします。
さて、随分前に某オークションにBFCの会報が出品されていて、その商品説明覧に「あの知野二郎を輩出した日本のブルース・リーのファンクラブを代表するBFCの会報です・・・」的な事が書いてありました。そう書いて貰うのは個人的には大変光栄ですが、BFCのOBには私だけじゃなく、中村頼永さん、関誠さん、阿部剛さんなど錚々たる方々がいますし、FB朋友で今も俳優として頑張っている太賀たけしさんもそうですし、忘れちゃいけない伝説のリーさん信者ジミー荒木さんもいますからね。
それにBFCのスタッフとして会報に原稿を書き出す前の龍熱青年は、会報にはよく投稿していたんですが、そのくせ毎月1度板橋の事務局で行われていた会員の集会には全く行かなかったんですよ(^_^)。
なので、当時のBFCのN会長は事務局の人たちと「この龍熱って奴は毎月投稿して来るだけで、事務局から数駅の所に住んでるくせに全然集会に来ねえじゃねえか!」と大顰蹙の不良会員だったと、後からN会長から聞きました(^。^)。その私がN会長から貰った1本の電話が縁でBFC事務局にスタッフとして頻繁に出入りするようになる経緯は、また別の機会にしましょう。
だって折角この「死亡遊戯完全版」を掲載した号の会報「THE DRAGON」の写真を貼ったんですから、少しはその話もしないと駄目でしょう(^。^)。
もう随分前の話なので、何故この「死亡遊戯」のノベライゼーションを会報に書く事になったか・・・は殆ど覚えてないんですが、多分私が事務局で口を開くと「死亡遊戯」!「死亡遊戯」!と叫んでいたからでしょう(^。^)。
それを見ていたN会長が「俺が小説の前半を書くから、龍熱がリーたちが五重塔に入ってからの後半を書けよ!」となったんだと思います、多分ね。
あと当時のN会長は熱狂的なプロレスファンで、特に今では伝説化しているプロレス専門紙「週刊ファイト」のI編集長(故人)に傾倒していたんです。
それもあって、N会長はI編集長が同紙で執筆していた「ファイト・ドキュメンタリー劇場」みたいな小説を書きたくて堪らない!感じが私から見ても判ったので、それもこの「死亡遊戯完全版」誕生の理由だったと思います。
要するにこの「死亡遊戯完全版」はBFC編集部の2人の熱狂的なプロレス信者が書き上げた格闘浪漫溢れるノベライゼーションだったわけです。
それでもこの「死亡遊戯完全版」の後半、リーさんたちが五重塔に突入してからのクライマックスを担当した私はガチで大変な労力で書き上げた記憶があります。
改めて当時18歳前後の青年によくぞこれだけのボリュームのノベライゼーション、それも殆ど情報のなかった時代の「死亡遊戯」を題材とした小説を書き上げられたと、いま50代になった私自身が思います。
それは昨年、「死亡遊戯」をテーマとした“妄想遊戯”のある意味集大成である「死亡遊戯:完全版2015~AFTER THE GAME」を上梓した私にとっても、この18歳当時の龍熱少年が持っていた「死亡遊戯」という未完の大作に対する情熱と探究心をこれからも失わずにいたい!と強く思わせる本当に懐かしい思い出なのです。(By 龍熱~BFC会員番号152)