「我が青春のBFC回想録」⑦
今回はBFCのOBにしてジークンドーの正統インストラクターとして活躍している中村頼永さんについて書きたいと思います。
中村さんはBFCの会報には、当時住んでいた三重県からよくイラストを投稿して来て、そのイラストもかなりの腕前だった事もあり、会報のイラストコーナーに頻繁に採用されていました。
その後、初代タイガーマスクこと佐山聡を初め、ダン・イノサント師父の許で修行した中村さんは立派な武道家として、そしてジークンドーの正統な継承者の1人となりました。
私が中村さんと初めて会ったのは07年の7月に六本木でシャノン・リーをゲストに招いて開催されたIUMAのイベントでした。
確かイベント開始前に私と一緒にイベントに来ていた戦友のE君が会場の片隅で準備に奔走している中村さんに「中村さん、こちらが龍熱さんです!」と声をかけてくれたんだと思います。
そのE君の声に私を振り返った中村さんは「!」とちょっとビックリした顔をしていましたが、その時初めて中村さんと「はじめまして!」と挨拶を交わして握手をしたのを覚えています(^_^)。
イベント自体はシャノン・リーに加えてスティーヴン・アウさんも来場して大変楽しいイベントでしたし、私はイベントの最後の中村さんとIUMAの会員との写真撮影会でも、ちゃんと他の会員の皆さんと一緒に長い列に並んで中村さんと一緒に撮ったツーショット写真が今回貼った写真です。今回これが初公開となります。
この写真を撮った時、中村さんは私が会員の皆さんと同じように列に並んでいるのを見て、またも「!」となっていましたが(^_^)、この時、中村さんと私で以下のような会話がありました。
中村さん「龍熱さんて、僕と同い年ですよね?」
龍熱「はい、そうです」
中村さん「あと同じBFC出身ですよね?」
龍熱「はい、そうですよ♪」
中村さん「やっぱりBFCで繋がってるんだなぁ!」
龍熱「いや~本当そうですね!」
そしてこの後、私と中村さんは暫し歓談したんですが、最後に中村さんは私の手を握り「今回は色々失礼しました!」と言ってくれたんです。
この言葉の意味は私と中村さんだけが理解できる事柄で、それはお互いが判っていれば良い事なのでここでは触れません。
でも私はこの時初めて「中村頼永、この男は大した男だ!」と思いました。初対面の私に対しても組織の長として、また1人の人間としてこのような真摯な言葉を伝えられる中村頼永さんこそ、文字通り“心の広い武道家”なのだと私は思います。
もう一つ中村さんとの思い出についてお話します。それは数年前に発行された書籍「語れ!ブルース・リー」についてです。
皆さんもご存知のように、この「語れ~」は中村さん、同じくIUMAの重鎮の関誠さん、私を初めとするBFCのOBたちが共に全力で作り上げた渾身のリーさん本でした。実はこの「語れ!~」の制作に入る前に、「語れ!~」の発行元であるKKベストセラーズのS編集長が私の自宅の近くまで足を運んでくれまして、それは熱心に私に対して原稿執筆の依頼を訴えてくれました。
そしてこの席でS編集長は今回中村さんと関さんが何故私に「語れ!~」に原稿を書いて欲しいか、その“理由”を話してくれたんです。
私はその“理由“をS編集長から聞いた時、とても感激しました。そしてその場でS編集長に「判りました。喜んでやらせて頂きます」と答えたのを今でもハッキリと覚えています。
そう、私にとってこの「語れ!ブルース・リー」は、BFC在籍時代に携わったあの増刊号「甦れ!ブルース・リー」と同じ、いやそれ以上に深い思い入れが詰まった1冊なのです。
最後に、皆さんにはこの私と中村さんのツーショット写真をただ単に香港功夫映画評論家の知野二郎と、ジークンドー正統継承者の中村頼永が並んで写っている写真としてだけでなく、遥か十数年前にBFCの会報に1人が拙い原稿を書く事で、1人が卓越したイラストを描く事で、お互いにリーさんこと李小龍への熱き憧れを燃やしていた2人のドラゴン少年が長い長い年月を経て、やっと邂逅を果たした記念すべき1枚として見て頂けたらとても嬉しいです。(BFC会員番号152)
今回はBFCのOBにしてジークンドーの正統インストラクターとして活躍している中村頼永さんについて書きたいと思います。
中村さんはBFCの会報には、当時住んでいた三重県からよくイラストを投稿して来て、そのイラストもかなりの腕前だった事もあり、会報のイラストコーナーに頻繁に採用されていました。
その後、初代タイガーマスクこと佐山聡を初め、ダン・イノサント師父の許で修行した中村さんは立派な武道家として、そしてジークンドーの正統な継承者の1人となりました。
私が中村さんと初めて会ったのは07年の7月に六本木でシャノン・リーをゲストに招いて開催されたIUMAのイベントでした。
確かイベント開始前に私と一緒にイベントに来ていた戦友のE君が会場の片隅で準備に奔走している中村さんに「中村さん、こちらが龍熱さんです!」と声をかけてくれたんだと思います。
そのE君の声に私を振り返った中村さんは「!」とちょっとビックリした顔をしていましたが、その時初めて中村さんと「はじめまして!」と挨拶を交わして握手をしたのを覚えています(^_^)。
イベント自体はシャノン・リーに加えてスティーヴン・アウさんも来場して大変楽しいイベントでしたし、私はイベントの最後の中村さんとIUMAの会員との写真撮影会でも、ちゃんと他の会員の皆さんと一緒に長い列に並んで中村さんと一緒に撮ったツーショット写真が今回貼った写真です。今回これが初公開となります。
この写真を撮った時、中村さんは私が会員の皆さんと同じように列に並んでいるのを見て、またも「!」となっていましたが(^_^)、この時、中村さんと私で以下のような会話がありました。
中村さん「龍熱さんて、僕と同い年ですよね?」
龍熱「はい、そうです」
中村さん「あと同じBFC出身ですよね?」
龍熱「はい、そうですよ♪」
中村さん「やっぱりBFCで繋がってるんだなぁ!」
龍熱「いや~本当そうですね!」
そしてこの後、私と中村さんは暫し歓談したんですが、最後に中村さんは私の手を握り「今回は色々失礼しました!」と言ってくれたんです。
この言葉の意味は私と中村さんだけが理解できる事柄で、それはお互いが判っていれば良い事なのでここでは触れません。
でも私はこの時初めて「中村頼永、この男は大した男だ!」と思いました。初対面の私に対しても組織の長として、また1人の人間としてこのような真摯な言葉を伝えられる中村頼永さんこそ、文字通り“心の広い武道家”なのだと私は思います。
もう一つ中村さんとの思い出についてお話します。それは数年前に発行された書籍「語れ!ブルース・リー」についてです。
皆さんもご存知のように、この「語れ~」は中村さん、同じくIUMAの重鎮の関誠さん、私を初めとするBFCのOBたちが共に全力で作り上げた渾身のリーさん本でした。実はこの「語れ!~」の制作に入る前に、「語れ!~」の発行元であるKKベストセラーズのS編集長が私の自宅の近くまで足を運んでくれまして、それは熱心に私に対して原稿執筆の依頼を訴えてくれました。
そしてこの席でS編集長は今回中村さんと関さんが何故私に「語れ!~」に原稿を書いて欲しいか、その“理由”を話してくれたんです。
私はその“理由“をS編集長から聞いた時、とても感激しました。そしてその場でS編集長に「判りました。喜んでやらせて頂きます」と答えたのを今でもハッキリと覚えています。
そう、私にとってこの「語れ!ブルース・リー」は、BFC在籍時代に携わったあの増刊号「甦れ!ブルース・リー」と同じ、いやそれ以上に深い思い入れが詰まった1冊なのです。
最後に、皆さんにはこの私と中村さんのツーショット写真をただ単に香港功夫映画評論家の知野二郎と、ジークンドー正統継承者の中村頼永が並んで写っている写真としてだけでなく、遥か十数年前にBFCの会報に1人が拙い原稿を書く事で、1人が卓越したイラストを描く事で、お互いにリーさんこと李小龍への熱き憧れを燃やしていた2人のドラゴン少年が長い長い年月を経て、やっと邂逅を果たした記念すべき1枚として見て頂けたらとても嬉しいです。(BFC会員番号152)