第52代NWA世界ヘビー級王者“Mr.プロレス”ハーリー・レイス。
1977年2月にカナダはトロントでテリー・ファンクを待ち構えていたハーリー・レイスは試合終盤で対テリー戦に用意していた拷問技でテリーからギブアップを奪いNWA世界チャンピオンに返り咲く。
その拷問技がインディアンデスロックである。自らの足で相手の足首を固めて何度も後方に倒れる事でギブアップを奪う変則のレッグロックだが、テリーからNWA世界王座を奪取した試合でレイスが披露したインディアンデスロックはレイスも仰向けに寝たまま何度も後方に倒れるスタイルで見た目のインパクトが弱く見栄えも良くなかった。
そのレイスがNWA世界チャンピオンとして初来日した際にジャンボ鶴田の挑戦を受けた試合で、レイスはインディアンデスロックでジャンボからギブアップを奪っているが、この時のレイスは自分が立った状態から何度も後方に倒れる、より動きが派手なスタイルへとデスロックのマイナーチェンジを行っており、さすがは職人のレイスだとファンを唸らせた。
またレイスは同来日でジャイアント馬場の挑戦を受け60分フルタイムの熱戦を展開し、私も当時リアルタイムで見た記憶がある。
この試合で馬場さんがレイスにブレーンバスターやバックドロップなど普段余り見せない技を次々と繰り出す様を見て「これぞダイナミックな王道アメリカンプロレス!」と大興奮!
以後この馬場vsレイスという王道カードの熱烈なファンとなっていく。
余談だが、私にとってNWA世界王者レイスと言えばこの来日時の黒のタイツに黄色のラインが入ったコスチュームで、この時のレイスはまだ細身ながらも凄味満点だった。
そのレイスが繰り出す豪快なブレーンバスターやダイビングヘッドパットがとにかくカッコ良かったのである。こうしてNWA世界ヘビー級チャンピオンとして本格的なキャリアをスタートさせたレイスは、やがてそのキャッチコピーも“美獣”から“Mr.プロレス”へと変わり、世界中のプロレスファンたちから畏敬の念と共に迎えられていく事となる。
しかしそれは同時に、全米マットを舞台に“アメリカンドリーム”の異名を持つ宿敵ダスティ・ローデスとの幾度にも渡るNWA世界王座争奪戦のスタートでもあった!
52nd NWA world heavy weight champion Harley Race.