昭和46年12月7日、札幌中島センターで行われたジャイアント馬場&アントニオ猪木組にドリー・ファンクJR&テリー・ファンクのザ・ファンクスが挑戦したインタータッグ選手権。
この試合が馬場と猪木の最強無敵BI砲最後の試合となりました。実はこの試合前後に猪木による日プロ乗っ取り計画が発覚しており、最初は猪木の“会社改革”に賛同していた馬場さんですが、途中で猪木派の「会社乗っ取りが成功したら馬場も放り出す!」との計略に気ずき慌てて日プロに謝罪して猪木から距離を置いた事もあり、BI砲のコンビネーションはバラバラでどう見てもまともな試合にはなりませんでした。
私は当時この試合は観ていないのですが、どうも1本目は普段なら繋ぎ技のボディスラムで猪木がドリーにアッサリとフォールを奪われたりと、明らかに試合全体がギクシャクしていたようです。
そして試合は2本目に馬場さんが32文ロケット砲でテリーをフォールし1対1となるものの、決勝の3本目に日本のファンにとっての悪夢が待っていました。猪木との間に冷たい隙間風が吹いた状態でのタッグプレーもあり孤立した馬場さんに襲いかかったテリー・ファンクは一気に馬場さんの巨体をテキサスブロンコ・スープレックス(画像参照。要するにダブルアーム・スープレックス)でマットに叩きつけフォールを奪い、ファンクスがインタータッグを奪取します。
余談ですが、馬場さんの巨体をダブルアーム・スープレックスで投げ切った選手は私の知る限りこのテリーと兄のドリー、そしてジャック・ブリスコの3人のNWA世界王者だけです。
考えて見れば、只でさえ強敵のファンクスにお互いが疑心暗鬼状態のBI砲が勝てるわけがなく、日本の至宝インタータッグの海外流出は必然だったと言えます。
猪木は大阪でのファン待望のドリー・ファンクJRとの3度目の対戦となるNWA世界&UNダブルタイトル戦も病気入院を理由に欠場。代わりに坂口征二がドリーに挑戦し善戦しましたが、以後、猪木とドリーは現役中に2度と対戦する事はありませんでした。
さらに猪木は吉村道明と保持していたアジアタッグも吉村がタイトル返上を申し出た事でこれまた返上と、アッと言う間に栄光の三冠王から無冠となります。まさに絵に描いたような凋落です。
この後、日本プロレスは自滅崩壊し、袂を分けた馬場さんと猪木は全日本と新日本とそれぞれお互いが団体の長として長年に渡って激しい興行戦争を繰り広げる事になります。
その後、この馬場さんと猪木という日本最強のタッグチームBI砲が1度だけタッグを再結成したのがあの伝説の「8.26夢のオールスター戦」でしたが、この時も試合前日に突如として馬場さんの恵比寿のマンションを訪ねて来た猪木の「馬場さん、明日の試合は俺に●●●●下さいよ!」の一言を聞いた馬場さんが「やっぱり猪木の奴は信用出来ない!」となり、結局2人が公の場で和解する事は最後まで無いままに終わったのでした。
最後になりますが、この札幌のBI砲vsファンクスのインタータッグ戦の映像は、亡き竹内宏介さんが日本テレビのアーカイブを探索したものの、映像が放送後に消去されてしまったらしく残念ながら現在は観る事が出来ません。本当に残念です。
同時期に放送された大阪でドリーに猪木の代打で坂口が挑戦したNWA世界ヘビー級戦の映像が現在もクリアな状態でテレビ朝日が保管している事を考えると、何故に日本最強のタッグチームBI砲最後の試合を保存しなかったのか理解に苦しみます。
こうなったら、日本テレビには是非とも保管しているBI砲のインタータッグ防衛戦の全ての試合映像をブルーレイ&DVDボックスでリリースして欲しいと切に願います。
Japans strongest tag team Giant Baba and Antonio Inoki falls !!
Terry Funk finishing Baba off by his double-arm suplex.
This legendary International-tag title match footage was sadly lost.