アントニオ猪木との第2戦にも敗れたストロング小林は、役員待遇で新日に入団後、徐々にその選手としてのランクを下げていきます。特に小林自身が「僕はね、レスラー人生で2回だけ泣いた事があるの。1度目は長州力にピンフォール負けした時ね。2度目はMSGシリーズ予選リーグで藤波に勝ちを譲って決勝リーグ進出を辞退した時なの。あの時は試合後に本当に悔しくて泣いたよ。だって藤波はもう立てなかったでしょ?あれは苛めてやったんだけどね!」と語っている藤波辰巳との第2回MSGシリーズの予選リーグ戦は、30分フルタイムの末の2度の延長の果てに「これ以上お互いに傷付け合いたくない。若い藤波に決勝リーグ進出の権利を譲る!」とリング上で小林の替わりにマイクを持った新間寿氏が(半ば強引に)アナウンスした事でやっと決着を見た試合でした。
私も当時生放送されたこの試合をリアルタイムでテレビ観戦していて「ランクを奪う者(藤波)」と「ランクを守ろうとする者(小林)」2人の鬼気迫る闘い振りが強く印象に残った試合でした。
で、やっとここからが今回の本題です(^_^)。この藤波vs小林戦が終わった時点で(1時間番組の)生放送の約30分近くが経過していました。
残りの時間で放送出来る試合はギリギリ1試合。そしてこの岡山武道館大会のメインイベントのタッグマッチ60分3本勝負は、今だに多くの昭和プロレス信者から「あのタッグマッチは凄かった!」と絶賛され続けている伝説のタッグマッチとなったのでした。その試合こそアントニオ猪木&坂口征二vsスタン・ハンセン&ジャック・ブリスコです。
この試合のキーパーソンは新日初参戦となる元NWA世界王者のブリスコでした。猪木&新日は長年に渡ってジャイアント馬場&全日の企業防衛という名の妨害行為により、世界最高峰のNWA世界王座への挑戦とは無縁とされて来ました。その元NWA世界王者のブリスコの招聘にやっと成功した猪木は、このタッグマッチの翌週に自分の持つNWF王座を懸けてブリスコと対戦する事が決まっていました。猪木の脳裏には宿敵の馬場が目の前のブリスコから日本人初となるNWA世界王座を奪った時(一週間後にブリスコが奪還)の悔しさが当然刻み込まれていたはずで「これでやっとNWA王座を独占する馬場に一泡吹かせてやれる!」とアントンは燃えていました。
しかし実際の試合は意外かつ波乱に満ちた展開となりました。1本目は猪木がブリスコから一瞬のエビ固めでフォールを奪い「やった!やったぞー!」とアントンが狂喜しますが、2本目になると主役であるはずのブリスコよりそのタッグパートナーが強烈なインパクトを残します。そう、“不沈艦”スタン・ハンセンです。
この頃からその驚異のラッシングパワーで新日のリングで台頭し始めていたハンセンは坂口をロープに振ると坂口の喉元に必殺のウェスタンラリアートを叩き込みピンフォール!哀れ坂口は口から血反吐を吐き3本目以降は戦闘不能状態となります。そして3本目もハンセンのウェスタンラリアートを浴びて完全に“死に体”となった猪木にブリスコがトドメのハイアングルのダブルアームスープレックスを決めフォール!試合は外人組が2対1で勝利を収めます。僅か10分ほどの試合時間でまるでタイトルマッチのような濃厚かつ圧巻の闘いを見せたこのタッグですが、残念ながら現在のテレビ朝日には試合映像が残っておらず、辛うじて一般のファンが当時の放送をビデオで録画した劣悪な試合映像のみが現存しています。
ちなみにこのタッグマッチの翌週に放送された猪木vsブリスコのNWFタイトル戦は期待された割には淡白な試合となり、最後は猪木が足四の字固めに来たブリスコをエビ固めで丸め込み勝利。試合後に賞金マッチに勝利した猪木がリング上で千円札の束をバラ撒き、それをリングサイドに殺到した観客が奪い合う、というトンデもないシーンがブラウン管に映し出されたのでした(^_^;)。
そして賞金マッチでありながら、何処かハングリーさに欠けた闘いを見せたブリスコ。それもそのはずで、ブリスコはNWA王者時代に馬場に例え一週間とはいえ世界王座を明け渡す事で何と6千万円という大金を得ていたのでした。それも本来ならNWA王者が遠征先で勝手にタイトルを“貸し出す”などの事態が起きた際に没収されるNWA王者が本部に預けている800万円近い保証金もそのまま没収されずに、です。
そう、鹿児島で馬場にタイトルを奪われ、日本人初のNWA世界王者誕生を許しながらも、2度目の挑戦で何とかタイトルを奪回したブリスコですが、その心中では「これで大して好きでもないプロレスを辞めても、何時でも自動車工場を開業して第2の人生を始められる資金が出来た!」と安堵していたのかも知れません。