「週刊ファイト縮刷版」第1巻に掲載の超貴重なグレート東郷☓グレート草津のルー・テーズ戦直前対談。
対談で東郷が草津を「タケ」と呼ぶのは草津のアメリカ修業時代のリングネームがタケ・ヤマグチだったから。対談でやたら鉄人テーズに対して大口を叩く草津に日に日にテーズ戦の破滅が近づく・・!
改めて1968年1月日大講堂のルー・テーズ☓グレート草津は60分3本勝負でした。1本目にテーズが急角度のバックドロップで草津を叩き着け草津は半失神。草津はそのダメージで2本目を棄権しルー・テーズが2ー0の圧勝でした。
この敗戦は後の草津のレスラー人生を左右するほど致命的な敗北となりましたが、私はもしテーズがここで草津に2本目を取られ(取らせ)ていたら、例えテーズが決勝の3本目を奪い2ー1で草津に勝っても、そこでルー・テーズの鉄人神話は終わっていたと思います。
つまりこの時期のテーズは確かにレスラーとして晩年に入っていましたが、テーズ自身はまだプロレスラーとしての自分の価値を冷静かつ客観的に見れる人だったのでしょう。
例えテーズがTBSの「新エース、グレート草津誕生!」の切なる要望を十分に理解していても、草津はテーズが直接闘いその力量を認めた力道山やジャイアント馬場とは根本から違うわけで、その草津にもし1フォールでも許したらテーズの日本でのキャリアは終わるわけです。
そのテーズの誇り高きプライドが草津を情け容赦なく脳天から落とすバックドロップとなったと考えるべきでしょう。
そういう意味ではテーズの好敵手だった力道山は勿論、グレート草津と似たようなシチュエーションで若きインター王者としてルー・テーズの挑戦を受けて立ち、堂々と鉄人から2ピンフォールを奪い“馬場時代”を招き寄せたジャイアント馬場は改めて高く評価されるべきでしょう。
Before crisis against Lou Thesz,Great Togo and Great Kusatsu having a dialogue on old Weekly Fight.
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龍熱の昭和プロレス放談(102)鉄人伝説を守ったルー・テーズのバックドロップ!
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