さて、少しご無沙汰の『死亡遊戯』ラフカット映像検証コラムですが、前回五重塔の挑戦者である田俊に触れましたので、今回はもう1人の挑戦者“五重塔の丸太男”こと解元に触れたいと思います。
サムソン・カイこと解元はマレーシア出身の華僑で剛柔流空手とウェイトリフティングの猛者として邵氏兄弟公司で影星人生をスタートさせます。
1960年代後半から数多くの邵氏作品で端役時代の若き解元の姿を映像で確認出来ます。ちなみに田俊も同時期に邵氏作品群に端役で出演していて、この時期の田俊の芸名がジェームズでなくポール・ティエン(陳文)でした。
私はこの田俊の本名である陳文が日本の媒体で解元が紹介される時に混同され、チェン・ユアン(陳元)との誤表記に繋がったと推測しています。
解元も田俊も70年代初頭に邵氏公司から嘉禾影業に移籍しますが、そこで当時一大功夫巨星として君臨していた李小龍作品に出演する機会を得るわけです。
その解元が李小龍の2本目の監督作品『死亡遊戯』に出演する過程ですが、李小龍が当初希望していた洪金寶が嘉禾と洪金寶の連絡の行き違いや洪金寶が海外ロケ作品に出演が予定されていたため『死亡遊戯』出演が不可能になったため、代わりに解元の出演が実現した事は既によく知られた事実です。
確かに『死亡遊戯』での解元の丸太を無作為に振り回すやや単細胞なキャラや、池漢載に攻めまくられた際のコミカルな表情は、李小龍監督が明らかに洪金寶を想定して脚本を書いていた事が分かります。
さらに五重塔5階を守る“未知の恐怖”カリーム・アブドゥル・ジャバールのフロアに真っ先に辿り着いた解元ながら、そのジャバール☓解元の闘いは一切画面には登場せず、ただ“未知の恐怖”に襲撃された解元が5階から4階に叩き落とされ、そのままアッサリ死亡するプロセスだけが撮影されました。
これは私の個人的推測ですが、もし解元の役が李小龍監督が強く出演を希望していた洪金寶だったなら、恐らく李小龍監督は5階での洪金寶☓ジャバールの闘いをそれこそ田俊☓ジャバール戦のようにジックリと丁寧に撮ったと思うのです。
そういう意味では洪金寶の『死亡遊戯』出演が実現しなかった事が改めて残念ですが、その代打男ならぬ丸太男の解元も、今度は1978年にロバート・クローズ監督で完成した『ブルース・リー死亡遊戯』(78)に出演する事か出来ませんでした。
何故なら前年の77年に解元は脳腫瘍で亡くなっていたからです。この解元の急死は78版『死亡遊戯』を李小龍監督のオリジナル原案に沿ったストーリーでの撮影再開&完成を不可能にしただけでなく、やれ解元は嘉禾に「『死亡遊戯』の撮影シーンの詳細を一切公言してはならない」との念書にサインを強要されていたとか、解元の未亡人が嘉禾に「亡くなった主人が映っている『死亡遊戯』の映像を公開しないで」と哀願したなど、様々な逸話を生む事となりました。
最後にこの“五重塔の丸太男”こと解元と数々の作品で共演した経験を持つ日本人武打星の貴重な回想をご紹介したいと思います。
倉田保昭「ああ、解元ね。懐かしいなぁ!解元とは呉思遠の映画でよく共演しました。マレーシアの華僑で人が良い男でね。解元は映画の殺陣もハアアア〜!とかイヤアア〜!とか一生懸命頑張るんだけど、呉監督にコラァ!とか怒られてたなぁ(苦笑)。
僕もそんな解元を見て、よく彼と昼飯を一緒に食べたりして、頑張れ!とか励ましてましたよ」
BRUCE IS BACK AND BACK AGAIN!!
今回の解元の画像も高橋眞人さんにご協力頂きました。ありがとうございました😊。
Log fighter Gai Yuen in Game of Death.