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Channel: 超級龍熱
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「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」 (1) ドラゴン、香港上陸!「悪客」

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さて、始まりました!「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」、その第1回は倉田保昭の記念すべき香港映画第1作目にして邵氏公司作品「悪客」(72)です。この「悪客」に出演が決定するに至るまでの倉田さんは、東京は帝国ホテルで邵氏のドンである邵逸夫とのオーディション(面接)に挑んでいますが、実はこの時にもう1人日本人俳優が六爺とのオーディションに出席していました。
まあ結果的に倉田さんの香港行きが決まった事で、この俳優はオーディションに落ちたわけで、ここはご本人の名誉のために敢えてイニシャル表記でI.Gとしておきますが、このI.G氏は現在も俳優として活躍中です。(この時、宮内洋も自伝で香港行きの話があったと言及)
さて、倉田さんが「悪客」に出演しようとしていた時期の香港クンフー映画は、当然まだブルース・リーこと李小龍が健在でしたし、他にも韓国から池漢載や黄仁植の韓国合気道コンビ、さらにはこの「悪客」の前日譚である「拳撃」(72)ではタイ式ボクシング、つまりムエタイを題材(悪役武打星である方野は邵氏でムエタイのコーチを兼任)とするなど、まさに香港映画界は一大格闘技映画ブームの真っ只中にあったのでした。
そういう意味でも「悪客」で主役の姜大衛&狄龍の前に立ち塞がる冷酷非情な日本人勝勇に扮した倉田さんにも、その日本で学び鍛えた空手の技の妙技が期待されたわけです。
またオープニングで主役の姜大衛や狄龍に続いて、空手の演武を披露する倉田さんを見るまでもなく、この「悪客」での倉田さんの扱いは当時の日本人武打星としては破格で、それは「悪客」香港公開版での勝勇の日本語の台詞を倉田さん本人がアテている事からも明白でしょう。
また「悪客」の監督である“暴力導演”張徹も、この時期は王羽から姜大衛や狄龍へと引き継がれた“新武侠世紀”路線から、新たに“少林英雄傳”路線へと自らの作風を徐々にシフトチェンジしようとしていた矢先でもあり、そこに日本から来た空手高手の倉田さんは張徹作品に新風を吹き込む事となりました。
そして何よりも重要な事柄が本作で武術指導を担当する劉家良と倉田さんの出会いです。初対面からお互いに武道家としても意気投合した劉師父と倉田さんは、以後何本もの映画でスクラムを組む事で、2人は固い信頼関係で結ばれていく事となります。
で、肝心の「悪客」での倉田さんのアクションですが、この時期は劉師父も倉田さんの切れ味鋭い足刀蹴り、または連続廻し蹴りなどといった武打星としての本来の魅力と凄みに対してまだ手探り状態だったせいか、ラストの工事現場での姜大衛&狄龍相手に鉢巻姿で大暴れする勝勇のクンフー・アクションは今一つ淡白ではあります。
ただそれでも自分の敗北を悟った勝がその場で切腹して果てる、というショッキングな結末は“和製ドラゴン”の記念すべき香港映画進出第1作としては十分なインパクトを残し、以後、倉田保昭は香港映画を自らの主戦場として快進撃を続けていく事となるのでした!!!

「あの「悪客」の時は面白い話があるんです。これ僕の香港の道場開きに狄龍が来てくれた時に本人から聞いたんだけど、狄龍と姜大衛が「悪客」の撮影に入る時に今度日本から凄い空手使いの俳優(倉田さん)が来るらしいって聞いたそうです。で、2人で相談してその日本人の空手使いと「悪客」でどっちが最初に立ち廻りするかジャンケンで決めよう!ってなったそうです(笑)。
そのジャンケンで狄龍が負けたので彼が最初に僕と闘う事になったんですね。
あと「悪客」は日本ロケもしてるんだけど、僕の子分役の陳星(強人役)が出演しているシーンは香港で撮ってます。何故って陳星は日本ロケには来なかったからね」(倉田保昭:談)

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