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Channel: 超級龍熱
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「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」(6) ドラゴン凱旋帰国!「帰って来たドラゴン」(前編)

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さてさて、「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」第6回は、倉田保昭、栄光の凱旋帰国作品にして最高傑作である呉思遠導演、梁小龍主演「帰って来たドラゴン」(74)、その前編です。
1974年の3月、既に日本は前の年の暮れに公開された李小龍主演「燃えよドラゴン」(73)の空前の大ヒットによって一大“空手映画ブーム”の真っ只中にありました。
小学生だった私こと龍熱少年も、李小龍ことリーさん主演作品は「燃えよドラゴン」を渋谷東急で、「ドラゴン危機一発」(71)を渋谷宝塚でリアルタイム観賞していましたが、そんな龍熱少年がリーさん映画以外の作品で気になる作品がありました。
当時から「ロードショー」や「スクリーン」などの映画雑誌で香港クンフー映画の記事に関しては独壇場だった日野康一さんがそれこそ玉石混淆状態のクンフー映画の中で「この3本だけは別格」と言っていた王羽主演「片腕ドラゴン」(72)、嘉凌主演「地獄から来た女ドラゴン」(72)と並ぶ作品、それこそが「帰って来たドラゴン」だったのです。
ただ、当時テレビでもガンガン!と予告編が流されていた「帰って来たドラゴン」ですが、その予告編で「日本人空手スター倉田保昭、堂々の凱旋帰国第1弾!!」との謳い文句に胸を躍らせていた龍熱少年は、てっきり主役のゴールデンドラゴンこと梁小龍が倉田保昭で、悪役のブラックジャガーが梁小龍だと思っていた事もあり、後日に劇場で「帰って来た~」を観た時に「あれ?倉田って悪役なの?」と唖然とし、この香港&台湾クンフー映画の日本人=悪役という不文律に初めて触れた時の衝撃はちょっと大きかったりしたのでした(^_^;)。
さて、74年の3月21日に日本でロードショー公開が始まった「帰って来たドラゴン」ですが、私はこのロードショー公開にはタッチの差で待ち合わず、慌てて新聞で名画座2本立てに落ちた「帰って来た~」を発見すると「また空手映画か?他の映画にしなさい!」と露骨に嫌がる父の手を引っ張り、嬉々として銀座の映画館に向かったのでした。
私はこの時「帰って来た~」を観た銀座の映画館を「銀座ロキシー」だったと記憶しているのですが定かではありません。それは何故か?実は何故か「帰って来た~」はパンフレットが制作されておらず、劇場名が押されたスタンプ入りのパンフが手許に無いからでした。
そのためこの時、私が「帰って来た~」を銀座で観た時の思い出のグッズは2本立てだったもう1本の映画、そう、マーク・レスター主演「小さな恋のメロディ」(71)のパンフだけなのです。
余談ですが、小学生だった龍熱少年にとってこの少年と少女の初恋を可愛らしく描いた「小さな~」も本当に思い出深い作品で、あのトロッコに乗った主人公2人が夕日の中に消えていく感動的なエンディングは今も忘れられません。
その私の「小さな~」に対する大切な思い出を、以前に某映画雑誌での私との対談で「フン!あんな映画はロリコン映画だ!」と罵倒した某映画監督には「お前なぁ?子供だった俺が観てた映画がロリコン映画なわけねーだろ!?(怒)」と思わずテーブルの下でガチで“怒りの鉄拳”を握ったのも今では懐かしい(?)思い出です(多分)。
さあ、大胆不敵な佇まいと驚異のキック技を持つ主人公ゴールデンドラゴン、ドラゴンに着き従う韓国才&孟海の凸凹コンビ、そのドラゴンの前に立ちはだかる黒の半手袋の最強殺し屋ブラックジャガー、そして彼らに影のように付き纏う謎の美女イーグル(何と黄韻詩)。
彼ら彼女たちが奪い合う莫大な富を生む真珠を最後に手にする者は果たして誰か!?ゴールデンドラゴンvsブラックジャガー!!今も香港クンフー映画史上に燦然と光り輝く壮絶なる伝説のマラソン・バトルの幕が開く!そう、合言葉はドラゴォォォン!!!

以下、第7回「帰って来たドラゴン」後編に続く!!

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