「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」第12回は、袁和平導演、梁家仁&倉田保昭主演「激突!キング・オブ・カンフー」(82)でいきたいと思います。
この「激突!~」は、その原題「霍元甲」からも判るように、中国に実在した武道家“黄面虎”こと霍元甲の少年時代から青年時代、そして中国を代表する拳師としてロシア人ボクサーや日本人武道家と闘い、勝利するまでを詳細に描いています。
霍元甲と言うと、私たちはどうしてもリーさんこと李小龍の代表作「ドラゴン怒りの鉄拳」(72)でリーさん扮する陳眞の恩師、とのイメージがあるかと思いますが、事実上架空の人物である陳眞とは違い、霍元甲は短い期間ではありますが、実際に上海を舞台に幾度となく武勇伝を残した実力派の武道家でした。
ただこの「激突!~」が他の霍元甲関連作品と異なる部分が少年霍元甲(袁日初)の家庭教師にして武道の恩師となる高豪深(倉田保昭!)との熱き師弟愛をメインに描いている点でしょう。
病弱だった事もあり、父である霍恩第(高飛)から毎日のように厳しく叱責され傷心の日々を過ごす元甲少年に対し時に優しく、時に厳しく接する高豪深の指導により逞しく成長した元甲(梁家仁)は、やがて父である恩第にも霍家の立派な跡継ぎとして認められますが、そこに1人の日本人武道家が姿を見せます。
そう、彼こそかつては元甲少年の恩人であった高豪深こと山口江十郎だった!
哀しくも皮肉な運命に翻弄された2人の師弟は、映画の終盤で無人の武館で命懸けの決闘に挑みます。本作で山口江十郎に扮した倉田さんは、敢えて白髪頭の老けメイクでこの役に挑み、愛する弟子との闘いに心を鬼にして挑む日本人武道家を鬼気迫る迫力で演じ切っています。
私はそれこそ100本近くある倉田保昭の出演作品の中でも、この「激突!~」の山口江十郎こそ倉田さんのベスト・パフォーマンスだと断言します。
それは「アクション俳優=演技力が未熟」の誤ったイメージと長年闘って来た倉田さんにとっての、倉田さんなりの答えであり、また証明であったと思いますし、同時に香港クンフー映画におけるハイレベルなクンフー・アクションと高い次元の人間ドラマの奇跡の融合という視点からも、この「激突!~」はまさに特筆されるべき傑作である、と私は言いたいのです。
また導演の袁和平はこの「激突!~」で作り上げたパワフルかつ切れ味鋭いクンフー・アクションから10年後、自身もさらなるレベルアップを遂げると、そこに空気を切り裂くような縦横無尽のワイヤー・アクションをプラスさせる事で誰にも真似の出来ないレベルの高みに到達します。それがあの不滅の名作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地大乱」(92)でした。
そう、まさにこの「激突!キング・オブ・カンフー」こそ、武打星としての倉田保昭、導演としての袁和平双方にとって決して忘れる事の出来ない思い出深い珠玉の1本となったのです。
最後に、私自身はこの「激突!~」を初めて観たのは本作がTV放送された時で、それは私が親しんだ豪快無比な70年代クンフー映画とは微妙に異なる人間ドラマに重点を置いたクンフー映画でありながら、映画を最後まで見届けずにはいられない強い磁力を感じさせた作品だったのでした。そう、合言葉はドラゴォォン!
「この映画はプロデューサーになっていた呉思遠が「クラタ、この映画のお前の役は悪役じゃなくて良い役だから」と持ちこんで来た映画でした。でも撮影途中で呉思遠と監督の袁和平が揉めちゃって、結局完成させるまでに3年ぐらいかかってます。でも僕が家族とたまたま香港に旅行に行った時に、空港で監督が待ってて「クラタさん、お願いだから一週間だけ夜の撮影に来てくれ!」って言われちゃってね(苦笑)。それが映画のラストシーンだったんですが、まあそういったトラブルはありましたが、僕はこの映画は今でも大好きな映画で、とても愛着があるんです」(倉田保昭:談)
この「激突!~」は、その原題「霍元甲」からも判るように、中国に実在した武道家“黄面虎”こと霍元甲の少年時代から青年時代、そして中国を代表する拳師としてロシア人ボクサーや日本人武道家と闘い、勝利するまでを詳細に描いています。
霍元甲と言うと、私たちはどうしてもリーさんこと李小龍の代表作「ドラゴン怒りの鉄拳」(72)でリーさん扮する陳眞の恩師、とのイメージがあるかと思いますが、事実上架空の人物である陳眞とは違い、霍元甲は短い期間ではありますが、実際に上海を舞台に幾度となく武勇伝を残した実力派の武道家でした。
ただこの「激突!~」が他の霍元甲関連作品と異なる部分が少年霍元甲(袁日初)の家庭教師にして武道の恩師となる高豪深(倉田保昭!)との熱き師弟愛をメインに描いている点でしょう。
病弱だった事もあり、父である霍恩第(高飛)から毎日のように厳しく叱責され傷心の日々を過ごす元甲少年に対し時に優しく、時に厳しく接する高豪深の指導により逞しく成長した元甲(梁家仁)は、やがて父である恩第にも霍家の立派な跡継ぎとして認められますが、そこに1人の日本人武道家が姿を見せます。
そう、彼こそかつては元甲少年の恩人であった高豪深こと山口江十郎だった!
哀しくも皮肉な運命に翻弄された2人の師弟は、映画の終盤で無人の武館で命懸けの決闘に挑みます。本作で山口江十郎に扮した倉田さんは、敢えて白髪頭の老けメイクでこの役に挑み、愛する弟子との闘いに心を鬼にして挑む日本人武道家を鬼気迫る迫力で演じ切っています。
私はそれこそ100本近くある倉田保昭の出演作品の中でも、この「激突!~」の山口江十郎こそ倉田さんのベスト・パフォーマンスだと断言します。
それは「アクション俳優=演技力が未熟」の誤ったイメージと長年闘って来た倉田さんにとっての、倉田さんなりの答えであり、また証明であったと思いますし、同時に香港クンフー映画におけるハイレベルなクンフー・アクションと高い次元の人間ドラマの奇跡の融合という視点からも、この「激突!~」はまさに特筆されるべき傑作である、と私は言いたいのです。
また導演の袁和平はこの「激突!~」で作り上げたパワフルかつ切れ味鋭いクンフー・アクションから10年後、自身もさらなるレベルアップを遂げると、そこに空気を切り裂くような縦横無尽のワイヤー・アクションをプラスさせる事で誰にも真似の出来ないレベルの高みに到達します。それがあの不滅の名作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地大乱」(92)でした。
そう、まさにこの「激突!キング・オブ・カンフー」こそ、武打星としての倉田保昭、導演としての袁和平双方にとって決して忘れる事の出来ない思い出深い珠玉の1本となったのです。
最後に、私自身はこの「激突!~」を初めて観たのは本作がTV放送された時で、それは私が親しんだ豪快無比な70年代クンフー映画とは微妙に異なる人間ドラマに重点を置いたクンフー映画でありながら、映画を最後まで見届けずにはいられない強い磁力を感じさせた作品だったのでした。そう、合言葉はドラゴォォン!
「この映画はプロデューサーになっていた呉思遠が「クラタ、この映画のお前の役は悪役じゃなくて良い役だから」と持ちこんで来た映画でした。でも撮影途中で呉思遠と監督の袁和平が揉めちゃって、結局完成させるまでに3年ぐらいかかってます。でも僕が家族とたまたま香港に旅行に行った時に、空港で監督が待ってて「クラタさん、お願いだから一週間だけ夜の撮影に来てくれ!」って言われちゃってね(苦笑)。それが映画のラストシーンだったんですが、まあそういったトラブルはありましたが、僕はこの映画は今でも大好きな映画で、とても愛着があるんです」(倉田保昭:談)