今年もこの日がやって来ました。そうです。“薄命の貴公子”こと傅聲の命日です。
傅聲があの七夕の日に悲運の自動車事故で28歳という若さでこの世を去ってから、早いもので、もう33年の月日が過ぎたわけです。
昔は傅聲の主演映画を観たくても観れない時代が長く続きました。
邵氏公司がフィルム・ライブラリーの開放を頑なに拒否していたためです。それでも私は傅聲を初めとする邵氏公司武打星たちの映画が観たくて観たくて堪らなかったので、海外で発売されていた英語版などのVHSを所有していた欧米コレクターとのトレードで、当時に観れる範囲で観れる傅聲主演作品は殆ど観ていました。
それら私が入手した傅聲コレクションの中には、当時からかなり激レアの北京語版の傅聲主演作品も何本もありました。
こんな事がありました。90年代後半のある日、私のBFCの後輩の男性から電話がありました。その後輩が言うには、私が所有している傅聲主演作品のコレクションをどうかダビングして欲しいとの事。
それも傅聲の激レア主演作品も含めて、私の所有する全ての傅聲作品をトレードして欲しいとの要望です。
驚いた私が理由を訊くと、後輩は戸惑い気味に口を開き「実は自分がいま付き合っている女性が台湾の女性で、その彼女が傅聲の熱狂的なファンなんです!ただ僕も台湾のビデオ屋で傅聲作品のビデオを必死に探したんですが中々見つからなくて・・・もうどうしたらいいのか」私はその後輩の勇気ある告白を聞くと、私の所有する傅聲主演作品を彼にダビングする事を約束しました。
その後、その後輩と彼女はめでたく結婚しました。
もしかしたら日本と台湾、2つの国の国境を越えた愛を“薄命の貴公子”が取り持った縁だったのかも知れません。
私はこの7月7日に傅聲の思い出を語る、という追悼式を当ブログ「超級龍熱」を開設以来欠かさず続けていますが、それも今年でもう10年になります。
10年ひと昔と言いますが、今ではこの七夕の日だけは傅聲の思い出を共有するためにこのブログに来て下さる方もいらっしゃるそうで、私自身恐縮の至りです。
ドニー兄貴信者の飯星景子さんも、当ブログで傅聲の命日が七夕の日だった事を知ったそうで、私がこれまで10年間続けて来た事が決して無駄ではなかったとしたら、これほど嬉しい事はありません。
今日の七夕の日、1年に1度だけ訪れるこの日を、33年前に“薄命の貴公子”が香港の夜空に輝く星となったこの日を、今年も忘れずにいて下さった皆さん。
香港で、日本で、そして皆さんが見上げる夜空で天の川を挟んで2つの星が最も光り輝く時、かつて香港映画界に傅聲という多くの人たちに愛された類い稀なる武打星がいた事を思い出しながら、どうか流れ落ちる星々に願いを懸けて頂ければと思います。
“英雄無涙!”“痛失良才!”“薄命の貴公子”傅聲よ、七夕の夜空に永遠に光り輝く星となれ!!
傅聲があの七夕の日に悲運の自動車事故で28歳という若さでこの世を去ってから、早いもので、もう33年の月日が過ぎたわけです。
昔は傅聲の主演映画を観たくても観れない時代が長く続きました。
邵氏公司がフィルム・ライブラリーの開放を頑なに拒否していたためです。それでも私は傅聲を初めとする邵氏公司武打星たちの映画が観たくて観たくて堪らなかったので、海外で発売されていた英語版などのVHSを所有していた欧米コレクターとのトレードで、当時に観れる範囲で観れる傅聲主演作品は殆ど観ていました。
それら私が入手した傅聲コレクションの中には、当時からかなり激レアの北京語版の傅聲主演作品も何本もありました。
こんな事がありました。90年代後半のある日、私のBFCの後輩の男性から電話がありました。その後輩が言うには、私が所有している傅聲主演作品のコレクションをどうかダビングして欲しいとの事。
それも傅聲の激レア主演作品も含めて、私の所有する全ての傅聲作品をトレードして欲しいとの要望です。
驚いた私が理由を訊くと、後輩は戸惑い気味に口を開き「実は自分がいま付き合っている女性が台湾の女性で、その彼女が傅聲の熱狂的なファンなんです!ただ僕も台湾のビデオ屋で傅聲作品のビデオを必死に探したんですが中々見つからなくて・・・もうどうしたらいいのか」私はその後輩の勇気ある告白を聞くと、私の所有する傅聲主演作品を彼にダビングする事を約束しました。
その後、その後輩と彼女はめでたく結婚しました。
もしかしたら日本と台湾、2つの国の国境を越えた愛を“薄命の貴公子”が取り持った縁だったのかも知れません。
私はこの7月7日に傅聲の思い出を語る、という追悼式を当ブログ「超級龍熱」を開設以来欠かさず続けていますが、それも今年でもう10年になります。
10年ひと昔と言いますが、今ではこの七夕の日だけは傅聲の思い出を共有するためにこのブログに来て下さる方もいらっしゃるそうで、私自身恐縮の至りです。
ドニー兄貴信者の飯星景子さんも、当ブログで傅聲の命日が七夕の日だった事を知ったそうで、私がこれまで10年間続けて来た事が決して無駄ではなかったとしたら、これほど嬉しい事はありません。
今日の七夕の日、1年に1度だけ訪れるこの日を、33年前に“薄命の貴公子”が香港の夜空に輝く星となったこの日を、今年も忘れずにいて下さった皆さん。
香港で、日本で、そして皆さんが見上げる夜空で天の川を挟んで2つの星が最も光り輝く時、かつて香港映画界に傅聲という多くの人たちに愛された類い稀なる武打星がいた事を思い出しながら、どうか流れ落ちる星々に願いを懸けて頂ければと思います。
“英雄無涙!”“痛失良才!”“薄命の貴公子”傅聲よ、七夕の夜空に永遠に光り輝く星となれ!!