我が青春のBFC回想録⑨
さて、前回のお約束通りに、今回の「~回想録」はBFC二代目会長であるS.N君について書きたいと思います。
私がS君に初めて会ったのは確か板橋の新BFC事務局内だったと思います。そのBFC事務局ですが、最初は古いビルの中の狭いフロアを借りて活動していたのですが、その後に道路沿いの倉庫のような建物に引っ越して、そこは事務局とFCグッズ保管も兼ねた倉庫が併設された建物だったと記憶しています。
私はビル時代より事務局内に日の光が一杯差し込む新事務局内がとても開放的で明るくなったのが嬉しかったのを覚えています。
その日、私が事務局にブラッと遊びに行くと、事務局長のSさんが「あ、龍熱君、彼が今度新しく入ったS君だからね!」とS君を紹介してくれました。私のS君の第一印象は「切れ長の目とリーさんカット、あとスラッと長身の男だなぁ」でした。
S君はそれまでBFCの会報を読んでいたので私の事を当然知っていて、お互い年齢はほぼ同じながら、S君は私に終始とても礼儀正しく接してくれました。このS君の私に対する態度は最後まで変わる事はありませんでした。
ただ今から思えば、そんなS君に対してN会長と私は当初はかなり厳しく接していたと思います。
勿論、N会長からすれば自分が初代会長として二代目会長のS君にはこれから立派にBFCを背負っていって欲しい、との熱い思いがあったからの厳しい姿勢だったと思いますし、事実、N会長のBFC、特に会報のコンテンツ向上に関する功績は多大なものがありました。まさにN会長こそがBFC最大の功労者でした。
それと私が思うに、N会長も私も自分たちが愛し親しんだBFCが世代交代という名の時の流れによって私たちの手から徐々に離れていくのが寂しかったのかも知れません・・・・。
あともう一つ。実はS君はリーさんこと李小龍のファンであると同時に、ジャッキー・チェンこと成龍のファンでもあったんです。
これに関してN会長の思いはともかく、私は強い反発を感じました。BFCの会長が成龍のファン?おいおい、それは違うだろう?
そんな私とS君ですが、事務局で何度も会っている内に次第に仲良くなり、私はS君の下宿に遊びに行くようになりました。
当時からバリバリの映像コレクターだった私のS君が所有しているであろうレア映像に対する激しい追及(?)には苦笑いしっぱなしだったS君ですが、この時にS君にダビングして貰った成龍が初来日したTV番組の映像等々は今も大切に持っています。
あとBFC事務局にはリーさんの男性ファンだけでなく、女性ファンも遊びに来ていたんですが、S君はその女性ファンの1人からプレゼントやお菓子を貰ったりしていました。S君、モテたんですね。
そして私がS君というリーさん信者に対する最も強い印象。それは彼が“アクション派”のリーさん信者だった事です。
つまり会報に原稿を書く事でリーさんへのリスペクトを表す私が“文章派”なら、S君は自分でリーさん主演映画のクンフー・アクションを体現、いえ物真似する事に人一倍情熱を注いだ男でした。
S君がBFCの年一度のイベント「フォーエバー82」と「~83」のステージ上で披露した「死亡遊戯」のビリー・ロー(S君)vs池漢載(会員のH君)戦、「ドラゴン怒りの鉄拳」の陳眞(S君)vsペドロフ(H君)戦は、現在もその全ての映像が私の手許にありますが、いま観直して見ても髪型、コスチューム、クンフーアクション再現のどれを取っても素晴らしい完成度です。
こうしてS君の様々な思い出を振り返って見ると、偉大な功績を残したN初代会長からバトンを受けたS君、いえS会長はS会長なりのやり方で、S会長が思い描くBFCを懸命に作っていったんだと思います。
そしてそのS会長の一人立ちを見届けるかのようにBFCを静かに離れた私ですが、その後は今回貼った画像のBFCの後期会報はその内容を殆ど知りません。
何時の日か、S会長に再会できたなら、S会長が作ったこれらBFCの会報の様々な思い出話を聞かせて欲しいと思っています。(BFC会員番号152)
さて「我が青春のBFC回想録」、次回の第10回がいよいよ大結局(最終回)となります。どうぞお楽しみに。
さて、前回のお約束通りに、今回の「~回想録」はBFC二代目会長であるS.N君について書きたいと思います。
私がS君に初めて会ったのは確か板橋の新BFC事務局内だったと思います。そのBFC事務局ですが、最初は古いビルの中の狭いフロアを借りて活動していたのですが、その後に道路沿いの倉庫のような建物に引っ越して、そこは事務局とFCグッズ保管も兼ねた倉庫が併設された建物だったと記憶しています。
私はビル時代より事務局内に日の光が一杯差し込む新事務局内がとても開放的で明るくなったのが嬉しかったのを覚えています。
その日、私が事務局にブラッと遊びに行くと、事務局長のSさんが「あ、龍熱君、彼が今度新しく入ったS君だからね!」とS君を紹介してくれました。私のS君の第一印象は「切れ長の目とリーさんカット、あとスラッと長身の男だなぁ」でした。
S君はそれまでBFCの会報を読んでいたので私の事を当然知っていて、お互い年齢はほぼ同じながら、S君は私に終始とても礼儀正しく接してくれました。このS君の私に対する態度は最後まで変わる事はありませんでした。
ただ今から思えば、そんなS君に対してN会長と私は当初はかなり厳しく接していたと思います。
勿論、N会長からすれば自分が初代会長として二代目会長のS君にはこれから立派にBFCを背負っていって欲しい、との熱い思いがあったからの厳しい姿勢だったと思いますし、事実、N会長のBFC、特に会報のコンテンツ向上に関する功績は多大なものがありました。まさにN会長こそがBFC最大の功労者でした。
それと私が思うに、N会長も私も自分たちが愛し親しんだBFCが世代交代という名の時の流れによって私たちの手から徐々に離れていくのが寂しかったのかも知れません・・・・。
あともう一つ。実はS君はリーさんこと李小龍のファンであると同時に、ジャッキー・チェンこと成龍のファンでもあったんです。
これに関してN会長の思いはともかく、私は強い反発を感じました。BFCの会長が成龍のファン?おいおい、それは違うだろう?
そんな私とS君ですが、事務局で何度も会っている内に次第に仲良くなり、私はS君の下宿に遊びに行くようになりました。
当時からバリバリの映像コレクターだった私のS君が所有しているであろうレア映像に対する激しい追及(?)には苦笑いしっぱなしだったS君ですが、この時にS君にダビングして貰った成龍が初来日したTV番組の映像等々は今も大切に持っています。
あとBFC事務局にはリーさんの男性ファンだけでなく、女性ファンも遊びに来ていたんですが、S君はその女性ファンの1人からプレゼントやお菓子を貰ったりしていました。S君、モテたんですね。
そして私がS君というリーさん信者に対する最も強い印象。それは彼が“アクション派”のリーさん信者だった事です。
つまり会報に原稿を書く事でリーさんへのリスペクトを表す私が“文章派”なら、S君は自分でリーさん主演映画のクンフー・アクションを体現、いえ物真似する事に人一倍情熱を注いだ男でした。
S君がBFCの年一度のイベント「フォーエバー82」と「~83」のステージ上で披露した「死亡遊戯」のビリー・ロー(S君)vs池漢載(会員のH君)戦、「ドラゴン怒りの鉄拳」の陳眞(S君)vsペドロフ(H君)戦は、現在もその全ての映像が私の手許にありますが、いま観直して見ても髪型、コスチューム、クンフーアクション再現のどれを取っても素晴らしい完成度です。
こうしてS君の様々な思い出を振り返って見ると、偉大な功績を残したN初代会長からバトンを受けたS君、いえS会長はS会長なりのやり方で、S会長が思い描くBFCを懸命に作っていったんだと思います。
そしてそのS会長の一人立ちを見届けるかのようにBFCを静かに離れた私ですが、その後は今回貼った画像のBFCの後期会報はその内容を殆ど知りません。
何時の日か、S会長に再会できたなら、S会長が作ったこれらBFCの会報の様々な思い出話を聞かせて欲しいと思っています。(BFC会員番号152)
さて「我が青春のBFC回想録」、次回の第10回がいよいよ大結局(最終回)となります。どうぞお楽しみに。