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我が青春のBFC回想録 ⑩

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我が青春のBFC回想録⑩(大結局)
さて、これまで「超級龍熱Facebook」で不定期ながら9回に渡って連載して来ました「我が青春のBFC回想録」ですが、今回の第10回を持ちましてフィナーレとなります。
その大結局となる第10回ですが、最終回となる今回はBFCが年に1度、都内の大会場などで開催した大イベント「フォーエバー」について語りたいと思います。
私がスタッフとして最初に参加した「フォーエバー」は、確か81年に開催された「フォーエバー81」だったと記憶しています。
今でも鮮明に覚えているのが、イベント当日に会場内で対面したN会長が何時もとは違う爽やかな白のズボンを履いていた事でした。
私がそれを問うと、N会長は「俺はね、こういうイベントみたいに気合いが入ってる時は白のズボンなんだよ!」と胸を張って答えてくれました(^_^)。
もう一つ印象に残っている事が、当日イベント自体を昼と夕方と2回行った事で、何故1日に2回同じ内容のイベントを行うのか、その場でN会長が説明してくれた気もするのですが、理由はもう忘れてしまいました。
あとイベント当日は、会場の売店でBFCのグッズを販売したのですが、私も開場前の短い間ですが売店に立っていたところ、お子さんの会員の付き添いで来ていた母親らしき女性が私が着ている非売品のTシャツ(アメリカ公開版「死亡遊戯」のイラストのポスターがデザインされたTシャツ)を指差して「ねえ、貴方の着ているそのTシャツは売ってないの!?」と詰め寄られたりした事も覚えています(^_^;)。
さて、全国のBFC会員が会場に集結したイベント「フォーエバー」は、冒頭でリーさんの巨大な遺影に向かって会場の会員全員が黙祷する中、予定ではそこに「マイ・ウェイ」を流すはずが、誤って「ドラゴン・パワー」が流れてしまう(!)という大チョンボで幕を開ける事となりました。それでもその後は会員有志によるソックリさん大会(このコーナーではイエナ・ブルース・リークラブからリーさん信者なら知らない者がいないAさんたちが飛び入り参加しての「スーパーアクション」も披露されました)、芸能人の方の物真似トーク、風間健のスピーチ、松田隆智先生の表演など、いま思い出しても豪華なコンテンツだったと思います。
そんな中、イベントはこれまた会員有志によるジークンドー教室がステージで披露される事となりました。実はここで私が個人的に忘れられないハプニングがありました。
このジークンドー教室に関しては、板橋のBFC事務局でM.Sさんという実際に空手の有段者の男性がインストラクターとして、毎週末希望者の会員に事務局の近くの公園などでジークンドー教室を開催していました。勿論、教室への参加は自由で、Mさんも優しく丁寧に会員に指導していましたし、私も教室の後はN会長たちと一緒にMさんの下宿に遊びに行ったりと、Mさんにはお世話になっていました。
ただ当時の私はどちらかと言うとリーさんのファンとしては、実技よりも映像コレクターとしての比重が大きいファンだったんですね。
それもあってか、毎回ジークンドー教室に出ないでそのままシラッと帰ろうとする私を見たMさんが「おい、龍熱!今日もジークンドー出ないで帰るんかい?」と声をかけて来ました。
私は悪びれる事もなく「はい。ちょっと今日はテニスに行くんで」と答えると、Mさんは「テニスやと?・・・ふ~ん!」とジィ~ッと私の顔を見つめるのでした。
私が当時テニスをやっていたのは本当だったのですが、それでもやはりせめて2回に1回はMさんのジークンドー教室に顔を出しても良かったと思いますし、私自身少し協調性が足りなかったと今では反省しています。
そのようなプロセスがあった上での「フォーエバー81」当日。ステージ上でジークンドー教室が開始される前に、Mさんを取り囲むようにN会長や私たち常連会員たちが構える中、インストラクターであるMさんのデモンストレーション的なアクションが披露されようとしていました。Mさんが1人、また1人と軽く蹴りを会員たちに当てると、打ち合わせ通りに会員たちが倒れていきます。
そして私がMさんの蹴りを受ける順番が来ました。後方から迫る私を振り向き様に見たMさんと目が合った時、私は一瞬、嫌な予感がしました。が、次の瞬間、Mさんの廻し蹴りが私の胸板にタイミング良く入りました!「バシィーン!」
当時からプロレスが大好きだった私はMさんの蹴りが自分にモロ入った衝撃よりも、そのまま後方に思い切り吹っ飛び、バンプ(受け身)を取る事で頭がいっぱいだったのを覚えています。
無事にジークンドー教室のコーナーが終わり、ステージの袖に帰って来た私はMさんに「Mさん、結構いいのが入りましたよ」と声をかけると、長身のMさんは私を見下ろすように「あ、そうか。入ってたんか。すまん!すまん!」と苦笑いするのでした。
その後もMさんと私はN会長を交えて、よくMさんの下宿やN会長の下宿で3人で時間を忘れて色々な話をしました。
それは時には女の子の話だったり、私の進路の話だったり、Mさんが大好きだった松山千春の話だったり、本当に様々な話題を夜が更けるまで話をしました。
そんな私がMさんに最後に会ったのは、私がBFCの活動から身を退いて暫く経った頃、池袋の芳林堂書店でした。
その場ではお互いほんの数分立ち話をしただけで、別れてしまいましたが、今から思えば、その時に私はMさんにこう言葉をかけておけば良かったと思っています。
「Mさん、僕は今でも松山千春の曲の中では「長い夜」が一番好きです!」

日本中から集まったリーさん信者でギッシリと埋まった年に1度のイベント「フォーエバー81」。イベントはいよいよ後半の映画上映となり、「ブルース・リーの生と死」予告編、「ドラゴン拳法」に続いて「ブルース・リー死亡遊戯」、それも会場の利用時間の関係で映画の上映が中盤のビリー・ローvsカール・ミラーが激闘を見せる“ロッカールームの死闘”から突如始まる中、私は他のスタッフたちと一緒に会場の後方からドアを少しだけ開けて「死亡遊戯」の上映に熱狂するBFC会員の様子を心から幸せな気分で見つめていました。
やがて「死亡遊戯」はクライマックスとなり、イエロートラックスーツに身を包んだ本物のリーさんが階段を駆け上がって来ると、場内のBFC会員たち全員がスクリーンに向かって大拍手をしています。
そう、いまこの会場に集まった人間全員がリーさんこと李小龍を心から敬愛し、愛し、そして偲んでいる。
その熱く、深く、優しいエネルギーを全身で体感出来たこの瞬間こそが、私にとってのBFC、ブルース・リーファンクラブ在籍時代の“真実の瞬間”でした。

私は香港功夫映画評論家としてのデビュー書籍となった「ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進!」の著者プロフィール欄に、自分がBFC出身である事を明記しました。
そこに自分がファンクラブ出身者である事をハッキリと書き記す事に何の迷いもなかった。
何故なら、私がリーさんこと李小龍に対する熱き思いを自分の文章で表現する事を初めて経験したのがBFCでした。
その自分の知識と時間を原稿という形で提供する事に対して報酬を頂く事を初めて経験したのもBFCでした。
そして何よりも、私が大好きなリーさんに関するあらゆる話題を、私と同じくリーさんが大好きな人たちと何時間でも話し続ける、という素晴らしい体験を共有出来たのもBFCだったのです。
そう、まさにBFCは私の青春そのものでした。その懐かしくも愛しい青春時代を過ごした証しを自分の記念すべきデビュー書籍で胸を張って書き記す。それはごく自然で当たり前の事だったんです。
N会長、Mさん、S2代目会長、S事務局長、中村頼永さん、関誠さん、そして沢山のBFC会員の皆さん。今もその全てが懐かしい。
そしてその全ての思い出に心からのありがとう!を伝えたい。
私はこれからもBFCことブルース・リー・ファンクラブで過ごした純粋で、情熱に溢れた数々の思い出を胸に、香港功夫映画評論家としての道を歩んでいきます。
そう、最後にいま1度、胸を張って、最高の笑顔でこう叫ぼう。合言葉は「フォーエバー!」、BFCよ、永遠に!!(BFC会員番号152)

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