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邵氏兄弟電影黄金時代⑦ “対李小龍秘密兵器”、その名は陳観泰!!

さあ、お待たせしました!好評発売中の「激闘!アジアンアクション映画大進撃」で私が執筆しました邵氏公司原稿との連動企画として、めでたく再起動となりました「邵氏兄弟電影黄金時代」第7回です。
宿敵である嘉禾影業が李小龍を獲得し、その主演作品「ドラゴン危機一発」(71)で李小龍が披露した打点が高く猛スピードの連続廻し蹴り、いわゆる“李三脚”の猛威を目の当たりにした邵氏公司の関係者は愕然とします。
何故ならその李小龍の圧倒的なまでの“李三脚”に対抗出来る足技テクニックを持った武打星が当時の邵氏公司には1人もいなかったからです。この当時の邵氏公司のトップ武打星だった姜大衛や狄龍が見せるアクションは拳技アクションが殆どで、彼らの放つ蹴りは殆どが添え物でしかありませんでした。
それは姜大衛たちに殺陣をつける武術指導家がこれまた拳技を得意とする洪家拳宗師の劉家良だった事も遠因だったかも知れません。早急に嘉禾影業と李小龍に対する対抗手段を迫られた邵氏公司が文字通り“対李小龍秘密兵器”として抜擢したのが大聖劈掛門の大家陳秀中の愛弟子で1969年にシンガポールで開催された全東南アジア武術大会王者である陳観泰でした。
余談ですが、陳観泰の師匠である陳秀中は実戦派として知られた武術家で、その普段の広東語の口調も相当荒っぽい人だったようです。この大聖劈掛門から映画界に入った武打星では「黒帯恨」(78)や「六合千手」(79)の冼林煜、電視劇「精武門」(95)でドニー陳眞との道場ファイトで「ドラ道」のコロシアム決闘を完全再現した冼灝英、さらには銭小豪&嘉樂兄弟などがいます。
さて、李小龍と同じく“真正武術家”の陳観泰は元は消防士でしたが、既に邵氏公司で王羽監督作品「吼えろ、ドラゴン!起て、ジャガー!」(70)や張徹監督作品「ヴェンジャンス」(70)など何本もの作品に絡み役で出演していました。
実は陳観泰は嘉禾影業作品にして李小龍主演「ドラゴン危機一発」とは奇妙な縁がある武打星でした。
それに関しては嘉禾で苗可秀主演「鬼流星」(71)や「ザ・ハリケーン」(72)、または「少林寺への道」(76)シリーズなど数多くの香港&台湾クンフー映画で武術指導を担当した名武術指導家で、今は亡き陳少鵬師父の証言を以下に引用します。

陳少鵬「陳観泰は確かに嘉禾影業が制作する「唐山大兄」に参加するはずだった。ただそれは武打星としてではなく武師、それも私の助理(アシスタント)としての参加だった。だが結果として陳観泰の参加はキャンセルされたんだ。理由は私が李小龍と陳観泰の武術スタイルの違いから2人の間で起こり得るかも知れない摩擦を懸念したからだ」

大変興味深く貴重な陳少鵬師父の証言ですが、既に05年に陳少鵬師父が鬼籍に入られた以上、これ以上の検証が出来ないのが残念です。それでもこの時期の陳観泰が実際に同じ嘉禾影業作品で、これまた「ドラゴン危機一発」の“主役候補”と言われた田俊主演「追撃」(71)で武術指導を担当している事実から、この「幻の陳観泰「ドラ危機」武師担当説」は俄かに信憑性を帯びて来る証言と言って良いかも知れません。
ただ邵氏公司が望んだ“対李小龍秘密兵器”としての陳観泰の抜擢は決して成功したとは言えませんでした。
何故なら張徹監督作品で陳観泰が馬永貞に扮した「上海ドラゴン英雄拳」(72)はクライマックスで延々20分近くに渡って展開された鮮血塗れの乱戦は凄まじい迫力で、その作品の完成度こそ素晴らしかったものの、やはり陳観泰も姜大衛たちと同じく拳技アクションに秀でた武打星で、李小龍が誇る“李三脚”を凌駕するには至らなかったからです。
むしろ陳観泰がその逞しい風貌と本格派の武術テクニックを駆使し“鋼鉄の男”としての本領を発揮するのは張徹監督が台湾に邵氏公司傘下の形で設立した長弓電影公司で撮った「嵐を呼ぶドラゴン」(74)などを初めとする“少林英雄傳四部作”における洪熙官役でした。特に陳観泰が洪熙官に扮し、もう1人の少林英雄方世玉に傅聲が扮した“南派少林双雄片”の圧倒的なまでの輝きは、その後何人もの武打星が洪熙官と方世玉を演じながら、今だに彼ら陳観泰&傅聲の黄金コンビを超える事が出来ない事からも明白と言えます。
ただ“対李小龍秘密兵器”から“洪熙官武打星”として一本立ちした陳観泰ですが、陳観泰自身が武打星としてその真の意味での凄味と本領を発揮するのは、張徹監督の宿敵である劉家良監督作品で青年黄飛鴻が逞しく成長する姿を描いた“正統黄飛鴻映画”「ワンチャイ英雄少林拳」(76)や、洪熙官が息子の洪文定と共に“鋼鉄の肉体”を誇る白眉道人との壮絶な死闘に挑む「少林虎鶴拳」(77)に出演してからだったとは何とも皮肉な話ですが、それはまた後のお話となります。

さて「ドラゴン危機一発」が香港で公開される数ヵ月前、邵氏公司のドン邵逸夫は「何とか李小龍に対抗出来るような卓越した格闘テクニックを持つ武打星を獲得しなければ!」と御大自ら慌ただしく日本は東京に飛びます。
そして邵逸夫は都内は帝国ホテルのラウンジで何人かの日本人俳優たちを迎えてのオーディションの場を設けますが、そこで邵逸夫は1人の日本人に目を留めます。
屈強な肉体、端正な顔立ちと鋭い眼光、空手と合気道を習得したと語るその日本人男性は邵逸夫に強烈な印象を与え、邵逸夫は目の前の日本人男性の礼儀正しい態度に頷きながら、傍らの幹部にこう囁きます。「この男だ。この日本人に決めたぞ!」
そして男性は邵逸夫に一礼すると、毅然と自分の名前を名乗るのでした。「倉田保昭です。よろしくお願いします!」
そう、この東映出身の空手高手こそが邵逸夫と邵氏公司が探し求めていた李小龍の“李三脚”に対抗できる電撃の連続廻し蹴りを放つポテンシャルを持った武打星だった!!
さあ、いよいよ次回の「邵氏兄弟電影黄金時代」は特別編として我らが“和製ドラゴン”倉田保昭登場!
題して「“アジアの黒豹”倉田保昭、香港へ!」、ご期待下さい!!
そう、香港映画の原点にして“最強無敵影城”は嘉禾影業にあらず、邵氏兄弟公司にあり!!「邵氏兄弟電影黄金時代」、次回もどうぞお楽しみに!!

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