さてさて、いよいよ再起動しました「龍熱の昭和プロレス放談」seasonⅡですが、その第1回は1973年にアメリカはテキサス州ヒューストンで“南部の麒麟児”ジャック・ブリスコが“美獣”ハーリー・レイスからNWA世界ヘビー級王座を奪取した日を検証したいと思います。
まず話はハーリー・レイスがNWA世界王座を奪取したドリー・ファンクJRの王者時代に遡ります。
当時約4年数ヵ月にも渡ってNWA世界王者に君臨していたドリーですが、さすがに4年もの長期政権で肉体的にも精神的にも疲れ切っていました。
それはNWA系のプロモーターたちも、ドリー本人も、そしてドリーの実父でNWA本部に強い発言権を持つドリー・ファンクSRも「そろそろどドリーも王座を誰かに明け渡す時が来たようだ」との意見で一致していました。
NWA本部がドリーの後継者に強く推していたのがアマレスで最強を誇り、プロレス転向後も王者ドリーに何度も挑戦し毎回あと一歩までドリーを追い込んでいたジャック・ブリスコでした。
そうして「今度ブリスコがドリーに挑戦した時こそ王座移動は必至だろう!」との期待の中で決定したドリーvsブリスコのNWA世界戦ですが、何とドリーがブリスコ戦直前にアマリロの牧場で怪我をしたとの理由でこのドリーvsブリスコ戦は急遽中止となります。
これにはNWA世界王座奪取に燃えていたブリスコも酷く落胆しましたが、さらにブリスコを2度目の衝撃が襲います。
そう、何とドリーがNWA世界王者から転落したのです。絶対王者だったドリーを背後から腹部へパンチを浴びせ、そこから必殺のブレーンバスターでフォールし、新たにNWA世界王者となったのはブリスコと同じくNWA王者候補だったハーリー・レイスでした。
このドリーからレイスへの王座移動は、ドリーのブレインであるドリー・ファンクSRによるドリー王座転落後のNWA内でのファンク一家の勢力維持を含んだ策略に違いない!との声が多々ありました。
それでもブリスコは気持ちを切り替えると、新王者レイスへの挑戦を目指して日々奮闘し、遂に1973年7月にテキサス州ヒューストンでレイスのNWA世界王座挑戦のチャンスを掴みます。
前回も触れましたように、この世紀の一戦の試合前にルー・テーズやジン・キニスキーも巻いた由緒ある皮製のNWA世界王座のベルトが中央に地球を象った新たなデザインのベルトへと交換するセレモニーが行われています。
60分3本勝負で行われた試合は、1本目はレイスが得意のブレーンバスターでブリスコをフォールし先制。2本目はブリスコが足四の字固めで返しタイとし、決勝の3本目はハイアングルアトミックドロップで追い込むレイスを気迫で蹴散らしたブリスコが電光石火のルー・テーズ・プレス(フライングボディシザース・ドロップ)でレイスをフォール!!
ここに新NWA世界ヘビー級王者ジャック・ブリスコが誕生!写真がブリスコが2対1でレイスを下しNWA世界王者となった瞬間を捉えた1枚ですが、僅か数ヶ月で王座を転落し呆然とする敗者レイスを尻目に当地のプロモーターのポール・ボーシュの手洗い祝福を受けるブリスコの姿が印象的ですね。
ちなみにこのレイスvsブリスコ戦の試合映像ですが、驚くべき事に現在その映像の所在が確認出来ないそうです。
私が日頃お世話になっている埼玉在住のアメプロ最強コレクターのTさんにこの試合の映像の存在を訊いたところ、Tさん曰く「確か1度観た記憶がありますが、何処に入ってしまったかなぁ」との事で、もしこの歴史的にも貴重な試合映像が現存しているなら是非観てみたいですね(^_^)。
さて、最後になりましたが、このハーリー・レイスにジャック・ブリスコが挑戦したNWA世界ヘビー級タイトルマッチが開催された正確な日付けをここに書き記しておきたいと思います。
その日付けこそが1973年7月20日でした。そう、リーさんこと李小龍信者の皆さん、いや香港クンフー映画ファンの皆さんなら、この日に遠くアジアの美しい夜景を誇る香港で何が起こっていたのか、もうお判りですね。
そうです、このアメリカはテキサスで歴史的なNWA世界王者の交代劇が起こった同じ日、香港では“世紀の闘神”にしてアジアのスーパースター李小龍ことブルース・リーが急逝していたのでした!!
嗚呼、何と言う偶然でしょうか。勿論、歴史上における衝撃度ではりーさんことブルース・リーの急逝がNWA世界王者の移動劇よりも遥かに大きく、また重要な出来事である事は言うまでもないでしょう。
ただそれでも私はこの2つの出来事が例え時差の違いがあったとしても、同じ年の同じ月の同じ日に起きていた事の奇蹟に只々驚きを禁じ得ないのです。
こうして、遂に悲願のNWA世界王者となったジャック・ブリスコは当初は赤の台座だった新NWA世界ヘビー級のベルトを黒皮に変更すると、世界各国で精力的に防衛戦を行っていきます。
しかし、そんな無敵王者ブリスコも翌年の1974年12月に日本は鹿児島でブリスコを待ち構えていた“東洋の巨人”の執念の前にまさかの王座転落を迎えるのでした!!
嗚呼、昭和プロレスよ、永遠に!!
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龍熱の昭和プロレス放談seasonⅡ ① NWA新世界王者ジャック・ブリスコ誕生!その時、香港では何が起こっていたのか!?
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