さて、「超級龍熱」と言えば「死亡の塔」!「死亡の塔」と言えば「超級龍熱」!と称されるほど長年「死亡の塔」の謎をトコトン追求し、その殆どの謎を解明して来ました当ブログですが、今回その僅かに残された「死亡の塔」の謎が遂に解明されました!!
「ブルース・リー死亡の塔」(81)のオープニングで、日本庭園を舞台にビリー・ローの眼前で秦谷(黄正利)に撃退される白人空手家。
この精悍な面構えの白人空手家については、これまで“「死亡の塔」撮影当時に日本で空手を修行中だった青年”との本当に僅かな情報しかなく、事実私も以前に各媒体にそのように書いた記憶があります。ところが!先日「超級龍熱Facebook」で私とFacebook朋友であるT.NさんのFBでご覧の空手着姿の中年男性の写真を見た私は思わず声を挙げていました!
龍熱「おお!こ、これはあの「死亡の塔」の白人空手家の現在の写真じゃないか!?」
そうなんです。この白人空手家こそイギリス出身にして剛柔流空手の達人グラハム・レイヴィ。そして彼こそが「死亡の塔」で秦谷と闘った白人空手家だったのです!!
そうとなったら、あの“死の宮殿”の番人ルイスことロイ・ホランとの2度に渡るインタビューで「死亡の塔」の謎をほぼ全て解明した「死亡の塔弁護士会」会長の龍熱としては早速グラハム師範に直撃インタビューを申し込みました。
ところがグラハム師範のサイトを管理するK女史の返信によると、何と一足違いで「The Clones of Bruce Lee」というイギリス(だか何処かだの)のサイトがグラハム師範のインタビューを収録したとの事。
ならば、せっかくなのでその「The Clones~」のグラハム師範のインタビューを抜粋掲載させて貰おう♪っと、これまたかなりチャッカリな龍熱なのでした(^。^)。
では以下、グラハム師範が語る「死亡の塔」の真実をどうぞ!
グラハム師範「私は14歳から武道を始めて今年で50年になる。主に剛柔流空手を学んだ。日本の東京にある「代々木道場」で12年間に渡って修行を積んだよ。
日本ではアルバイトで英語を教えたりしていたんだけど、日本の映画でエキストラの仕事もしていたんだ。ある日、エージェントから電話があって東京でクンフー映画の撮影があって、武術の出来るエキストラを探してるって言われてオーディションに行ったんだ。
現場に行くとそこには私を含めて4人のエキストラ候補(恐らくこの内の2人が加藤寿と堀田真三)が来ていた。そこで名前は忘れたけど、この映画のアクションコーチ(恐らく袁和平か、袁氏兄弟の誰か)が7、8パターンの武術の型をやって見せて、それを真似てみろって言うんだ。
この4人のエキストラ候補の中で私が唯一の武道家だったし、私にとってコーチの動きを真似るのは簡単だった。他のエキストラは身体が大きかったり見た目も怖そうだったけど、皆が(武術の)技術不足もあって、コーチの動きを真似できないようだったね。
何日か経って、私がエキストラの役を獲得したとの連絡があった。
私にはこの映画が中国映画で、私の出演シーンの撮影期間は2日間。撮影場所は東京の六本木にある増上寺のグラウンド(ここ注目!)との事以外は何も知らされていなかった。
私が撮影現場に行くと、既に撮影クルーが忙しげに撮影を始めていて、そこでは黄正利が木刀の風圧で障子を破るシーンを撮影していた。黄正利の印象?彼は私のところにやって来て、こう自己紹介したのを覚えているよ。
「俺が黄正利だ。ブルース・リーが死んだ今、俺が最高のクンフーファイターだ!」ってね。それを聞いた私は「横柄な男だな。そんな事を言うなら君は全ての中国人と闘うべきだろう?」って思ったよ。
私と黄正利のファイトシーンの撮影が始まって気がついたのが、このシーンではカメラの前で黄正利を如何にカッコ良く見せて、私を如何に弱く見せるか、という事だった。
スタッフが私に少し動きのスピードを落としてくれ、あとヘンテコな表情をしてくれ、と言って来た。私はまあそれでギャラが貰えるならいいか、と彼らの指示通りにやったよ。
黄正利は他のアジア系の武道家と同じで動きはかなり早かったね。ただ私のような大柄の相手と闘うにはパワー不足だと感じたな。
あと黄正利がジャンプして私の延髄と腹を2段蹴りするシーンではOKテイクが撮れるまで何テイクも撮ったよ。私はこのシーンの黄正利が見せるサーカスみたいなパフォーマンスには感心したな。
このアクションで私が黄正利に「(キック)を直に当てていいよ、その方がよりリアルに見えるだろう?」て提案したら、黄正利は私の提案に驚いていたよ。
この連続2段蹴りのシーンでは5、6テイク辺りで私の腹が痛くなって来たので、彼らが用意した段ボールを腹に仕込んで撮影を続けたけど、最終的には10テイク目でOKテイクが撮れたよ。
ただ私と黄正利のファイトシーンでファイト・コーチがチョップ(手刀)を殺陣に入れた時、1テイク目に私が黄正利にチョップを放つシーンまでは順調だったが、私が剛柔流空手の横からの手刀を使ったら、その肘がダッキングしてチョップを避けようとした黄正利の頭に当たってしまった。その衝撃で転倒した黄正利は暫くボ~ッとしていたけど、起き上がると私に向かって「この馬鹿野郎!何だあの手刀は!?クンフー映画の手刀は真っ直ぐ真下に振り下ろすんだ!」って激怒していた。私はエゴが傷ついたらしい黄正利に謝ったけど、心の中では「良いチョップだろうと悪いチョップだろうと、実際の闘いでは利くんだぜ?」って呟いてたよ。
その後、改めて私が黄正利の気に入るようなチョップを出して、それを黄正利がダッキングしてカワす、のシーンを無事に撮ってからは、私たちはまた元の友好な関係に戻ったんだ。
金泰靖についてかい?私が出番がない時、黄正利が肩越しに投げたカップを金泰靖が椅子に座ったまま足で受け止める、ってシーンを横で見ていた。
スタッフたちはこのシーンを1ショットで撮りたくて、それこそ何テイクも撮り直していたな。ただ黄正利が投げたカップが色んな方向に飛んでいったりで・・・結局20テイク以上撮っても駄目で、とうとう彼らはこのカップ投げのシーンをカット編集を入れた2シーンとして撮る事にしたんだよ。これには金泰泰もホッとして喜んでいたね。
何故って20テイク近く撮って、金泰靖が黄正利が肩越しに投げたカップを何とか足でキャッチ出来そうなほど近くに飛んで来たのは4回ぐらいだったけど、その度にカップが足に当たってかなり痛かったようで、最後のほうは痛みを和らげるために彼は靴の中に段ボールを入れていたからね。
私に言わせて貰えば、このシークエンスを1シーンで撮るのは不可能だし、それはその場にいた他のスタッフも同じ思いだと、彼らの顔付きから判ったよ。
私のシーンの撮影が2日で終わった時は嬉しかったよ。その後は「死亡の塔」のスタッフの誰とも一切会う事はなかったね。
この時の私は黄正利がそんなに有名なスターだったとは知らなかったんだ。私がそれを知ったのは実は今から10年ぐらい前だったんだ。
この「死亡の塔」の撮影に参加した後の私は日本を離れて、オーストラリアで剛柔流空手を教えていたよ」
以上がグラハム師範のインタビューから抜粋した部分ですが、如何でしょうか。
私から見て、このインタビューが良い出来か悪い出来かと聞かれれば、良いインタビューだと思います。撮影中のグラハム師範と黄正利が一瞬即発だった事がよく分かりますし、ビリー・ローに扮した金泰靖の撮影中の興味深いエピソードも貴重な証言だと思います。
ただこのインタビューを読み終わった私はグラハム師範のサイトの管理人K女史を通じて、グラハム師範に1つだけ確認したい事柄を質問しました。
それがグラハム師範と黄正利が闘った庭園の正確な場所と名称です。この長年「死亡の塔」信者が探し求めている場所の正確な情報が判明すれば、一部のファンのように増上寺周辺をあてもなく徘徊する必要はもうなくなるわけですからね。
もし無事にグラハム師範から黄正利と闘った場所の正確な情報が来ましたら、勿論当ブログでご報告したいと思っています。どうぞお楽しみに❗