さて、再起動しました倉田さん特集です。ご覧の倉田さんと“香港のブロンソン”こと陳星が表紙を飾る海外雑誌「DRAGON」ですが、ハッキリ言ってこの雑誌名は我がBFC会報誌のパクリですぞ😉。
数ある倉田vs陳星対決作品の中でもやや都会的アクションの雰囲気を持つこの「黒豹」(73)を初め、「餓虎狂龍」(72)、「猛虎下山」(73)、「虎拳」(73)など、そのどれもがド迫力の肉体と肉体の激突!を売りとした素晴らしいクンフーアクション映画です。
梁小龍vs倉田保昭が怒濤のキック合戦なら、この陳星vs倉田保昭は陳星の空手拳撃と倉田さんの蹴り技の真っ向激突で、倉田さんが仰るには2人のクンフーファイトは監督の「カット!」の声がかかった後でも、必ず「ガツ!ドカ!」と2、3発は余計に打ち合うほど、ガチで白熱したド突き合いだったそうです😅。
陳星は邵氏公司時代は倉田さんの香港デビュー作品「悪客」(72)での倉田さんの子分役など端役が多かった人ですが、邵氏離脱後に富國影業で主演した「蕩寇灘」(72)の爆発的なヒットでスターになり、黄卓漢率いる香港第一影業作品群でトップスターとなりました。
またこれは私が以前から真相解明を求めている事件で、第一影業作品「少林殺戒」(75)撮影中に、陳星が本作の無事指導を担当した古龍(即:金童)と組手か何かを行い、そこで陳星が手首を骨折したとの不穏全開のエピソードがあります。私が同作で同じく武術指導を担当し古龍の師匠である陳少鵬など関係者の証言をリサーチしたところ、どうやら陳星は古龍の自らの腹部で相手の拳を吸い込むように受け、そのまま腹筋の力でその相手の手首をヘシ折るという、あの「洪拳與詠春」(74)で王龍威が披露した荒技で手首を折られた(最低でも脱臼)ようです。私が何故にこの戦慄のエピソードを長々と書くかと言うと、陳星は武打星である前に武館を開いていたほどの実力派の空手家で、その陳星ですら一蹴されるほどの実力派の武打星が70年代の香港&台湾映画界にはそれこそゴロゴロいたわけです。
その言わば逃げ場すらない“クンフージャングル”において、己の鉄拳と蹴り技のみで陳星や梁小龍ら実力派武打星たち相手に連日壮絶なクンフーファイトを繰り広げた我らが倉田保昭こそ改めて高く評価されるべきである、との思いからなのです。
是非とも今からでも倉田保昭vs陳星による“香港武打片版名勝負数え唄”の日本でのソフト化を熱望します。
Yasuaki Kurata against Chen Sing in Black Panther from DRAGON magazine cover.