さて、好評連載して来ました倉田さん特集も今回が大結局になります。大結局の第7回では、私こと龍熱と倉田さんの出会いから今日までの様々な思い出を駆け足で振り返って見たいと思います。
これまで私は倉田さんには6回か7回ほどインタビューしているかと思いますが、最初に倉田さんにお会いしたのは1994年に「ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進!」のインタビュー取材でした。
実はこれまで40人近くの香港映画関係者にインタビューして来た私が最初にインタビューした武打星が倉田さんでした。
倉田さんといよいよ対面する前の晩は緊張して寝れませんでしたし、それは後年ジミー・ウォングやサモハンにインタビューした時よりも緊張した記憶があります。
初めてお会いした倉田さんは、ちょうど李連杰と「フィスト・オブ・レジェンド精武英雄」(94)を撮ったばかりでしたが、やっぱりカッコ良かったです👍。
李連杰で思い出しましたが、インタビューでは当時人気絶頂だった李連杰の人気キャラ方世玉が主人公(演じるは孟飛)で倉田さんも出演した「武道大連合/復讐のドラゴン」(72)について私が以下の質問を倉田さんにすると・・
龍熱「やっぱり嗚呼、俺は方世玉映画に出演してるんだな!みたいな感動はありましたか?」
倉田さん「??いやないですねえ!(苦笑)」
龍熱「(ガーン!😭)」
みたいな、いま思い出すと苦笑いしてしまうようなやり取りも倉田さんとした思い出があります😅。
それからは倉田さんとは雑誌や書籍のインタビューで何度もお会いするようになり、例えば倉田さんの著作「香港アクションスター交友録」も私は監修編集としてお手伝いさせて頂きました。実はこの時は倉田さんから「龍熱さんも本の製作に参加して欲しい」とのご指名があり、編集者によると「倉田さんは龍熱さんをとても信頼していらっしゃるようです」との事でした。それを聞いた私が監修編集者として俄然張り切ったのは言うまでもありません😊。
そんな私が倉田さんとの数々の思い出の中で、今でも最高の思い出として覚えているのが2010年に第23回東京国際映画祭でドニー兄貴主演「イップ・マン葉問」(10)が上映された後に、倉田さんと私がトークイベントをご一緒した時です。このトークイベントについてはこれまでも様々な機会に触れていますので詳細は控えますが、いよいよトークイベント開始時間が迫り、倉田さんと私が超満員のお客さんが待つステージに出ていく直前、それまで沢山の関係者が行き交っていたステージの袖は、何時の間にか私と倉田さんの2人だけになっていました。
カーテンの向こうのステージでは、司会の石坂健治さんがマイクで「今回の映画祭では今日のトークイベントが最もチケットの入手が困難なイベントでした!」などと説明する声が聞こえて来る中、私の隣に立つスーツ姿の倉田さんは袖に設置された大きな姿見鏡で全身をササッとチェックしながらも、私の「今日は袁和平の話は大丈夫ですか?あと馮克安の話もしますか?」の問いかけに無言で何度も頷いていました。
そして石坂さんの「それでは倉田保昭さんです!皆さん、どうぞ大きな拍手でお迎え下さい!」の呼び込みに倉田さんは私をステージの袖に残しユックリと万雷の拍手の渦の中に出ていきました。
その倉田さんの颯爽と、また毅然とした後ろ姿は、私が子供の頃からズッと憧れ熱狂して来たブラックジャガーであり、不知火龍馬であり、草野刑事そのものでした。
「続いて香港功夫映画評論家、知野二郎さんです!」
私は深く深呼吸をすると、倉田さんと満員のお客さんが待つステージに向かって踏み出そうとしたその瞬間、私の脳裏に倉田さんのある言葉が浮かんで来ました。
それは「和製ドラゴン放浪記」の最後で、倉田さんが香港や台湾での激闘苦闘の果てに「帰って来たドラゴン」でやっと日本に“帰って来る”事が出来た凱旋帰国記者会見の場に登壇する直前の想いを書き記した一文でした。
倉田さん「いま俺はその眩い光の中に踏み込んでいく・・!」
私は“和製ドラゴン”が待つ光り輝くステージにそれこそ倉田さんと同じように踏み込んでいく瞬間、その時倉田さんが感じた抑え切れない高揚感と幸福感が少しだけ理解出来たような気がしました。
さて、全7回に渡ってお届けしました「伝説のドラゴン、倉田保昭」如何でしたでしょうか。
皆さんに喜んで頂けたら幸いです。
今回も最後までお読み下さりありがとうございました😊。
Yasuaki Kurata and me Jiro Chino at Tokyo International Film Festival 2010.
We did talk live together after Donnie Yen Ip Man2 was screened.Awesome memory indeed.