最近知り合いから韓国映画の巨匠である申相玉や李晩煕の伝説的な名作群を大量に譲って貰いまして、ちょっとハッピーな龍熱です♪あとこれまた別方面から韓国映画では珍しい70年代の女刑事物も入手したんですが、こちらも今から観るのが楽しみです。
これはまた近い内に当ブログの長寿&人気セクションである「熱風!韓国LEGENDS」を更新しないといけませんね。
さて、先日の“和製ドラゴン”倉田保昭さん(以下、ドラゴン♪)と「『レッド・ティアーズ』直前イベント」にてトークショーをご一緒させて頂いた余韻もあってか、ここの所はドラゴンの香港&台湾時代の武打片を観直す日々が続いております。
で、昨日久々に観たのが黄卓漢率いる香港第一影業作品にして岳楓導演、陳星、倉田保昭、そしてポーリー・シャンカンこと上官霊鳳主演『趕盡殺絕』(73)なんですが、これが昔から出回っている同作品の英語吹き替え版ではなくて、ちょっと前に入手したまま放置状態だったオリジナル北京語版&ワイドスクリーン仕様のDVDでの鑑賞となりました。ちなみにこのDVD、ボタン一つで北京語版から英語吹き替え版に音声トラックが変更可能という“優れ物ソフト”であります。
物語的には陳星率いる高雄&岑潛波一派、馬驥と上官霊鳳親子、かつては馬驥の弟子でありながら極悪人となった倉田、そして山茅率いる軍部が金貨を巡ってお互いに争奪戦を繰り広げるといった展開です。ちなみに武術指導は梁少松と梁小龍&李銘文(即:金銘)です。
さて、映画の中では紅一点のポーリー嬢ながら、この『趕盡殺絕』に出演した後辺りからポーリー嬢はその風貌が著しく派手(恐らくは整形手術)になっていくんですが、本作『趕盡殺絕』出演時のポーリーはまだまだ可憐な佇まいを残していますね。
ただ映画の序盤で実現するドラゴンvsポーリーの一騎打ちでは、ドラゴンが女武打星であるポーリーに蹴りを入れるシーンなどで明らかに手加減しているのが判りますねえ(苦笑)。まあその分後半での陳星vsドラゴンの一騎打ちではもう2人が「いやあああ!」「どりゃああ!」と両手を派手に旋回させて相手を威嚇するあの“バッシャー・ポーズ”を何度も見せながらひたすらガンガン!とド突き合いを見せてくれるのが嬉しいんですが・・・。
まあこの『趕盡殺絕』でのドラゴンは映画の中盤でポーリー嬢に射殺されてしまい残念ながら途中で画面から姿を消してしまうんですが、その後は数々の文芸映画で名を馳せた岳楓導演らしく、ポーリー嬢が金貨の在り処を教える事を条件に捕らえられた陳星の釈放を山茅長官に迫ったり、ラストでは“意外な人物”の裏切りがあったりと、映画の売りであるアクションだけではなく、劇中における生々しい人間ドラマの部分でもジックリと見せてくれている点に注目したいですね。
また岳楓導演の武侠片におけるベストワークですが、これは龍熱が以前から何度も触れているように、岳楓導演が邵氏公司において張翼主演で撮った武侠片『魔魂鈴(又題: 奪魂鈴)』(68)である事に間違いないので、是非皆さんにも機会がありましたら『魔魂鈴』をご覧になってみて頂きたいと思います。
さて、最後にこの『趕盡殺絕』の主演である“香港のブロンソン”こと陳星について簡単に触れておきましょう。
インドネシアの華僑にして本物の空手の名手であった陳星は、1968年から香港の邵氏公司で武師として活動していましたが、その後“陽剛導演”張徹に見出され『続・片腕必殺剣』(69)などで頭角を現し邵氏公司と5年契約を結びます。しかし契約から3年経った辺りから“独裁的専属契約制度”で知られた邵氏公司と陳星の間で徐々に待遇面、つまり金銭面などでの軋轢(ここの過程の詳細は細かく書くと延々と長文になってしまうので割愛します)が生まれ、陳星は邵氏公司からの独立を強く望む事となります。しかし陳星と邵氏公司の間には依然として様々な契約が存在していた事もあり、そこで陳星は“策略”を練り、邵氏公司に対し「俺はシンガポールで空手の教練になるよ!」と伝え、それを信じた邵氏公司は陳星との契約を解除します。それが1971年の11月の事です。
ところが、陳星はその後にシンガポールに行くどころか、そのままシラ〜ッと香港に留まると(苦笑)、既に邵氏公司を飛び出していた呉思遠率いる富國公司で当時はまだ若手だった陳観泰との共演作品『蕩寇灘』(72)に主演します!
この陳星の裏切りを知った邵氏公司は直ぐに法的手段に訴えようとしますが、邵氏公司と陳星の間で交わした契約解除は合法だった事もあり、呉思遠&陳星コンビによる『蕩寇灘』は順調に撮影が進み、遂には公開に向けてノンストップ状態となります。
しかし、しかし(苦笑)、富國公司に完全に“赤っ恥”をかかされた事に激怒した邵氏公司と張徹導演は、ならば!と当時まだ邵氏公司と長期契約を結んでいなかった陳観泰を『蕩寇灘』の撮影中であるにもかかわらず強引に邵氏公司に呼び戻すと、張徹導演が陳観泰を“張家班”の1員として迎えると共に、改めて邵氏公司の長期契約演員として起用するという“報復行為”に出ます。そのため後に完成&公開された『蕩寇灘』での陳観泰の出演シーンの幾つかでは、汪禹が陳観泰の代わりにマスクで顔を隠す形で“代役出演”せざるを得なくなるという“ヘンテコ編集”作品となったのでした。
こうして邵氏公司から富國公司と渡り歩いた陳星は『蕩寇灘』の大ヒットを経て、今度は1972年の11月に黄卓漢率いる第一影業と10本の映画出演契約を結び、いよいよ陳星は“香港のブロンソン”として、その真の意味での武打星黄金時代へと踏み出す事となるのです!!
これはまた近い内に当ブログの長寿&人気セクションである「熱風!韓国LEGENDS」を更新しないといけませんね。
さて、先日の“和製ドラゴン”倉田保昭さん(以下、ドラゴン♪)と「『レッド・ティアーズ』直前イベント」にてトークショーをご一緒させて頂いた余韻もあってか、ここの所はドラゴンの香港&台湾時代の武打片を観直す日々が続いております。
で、昨日久々に観たのが黄卓漢率いる香港第一影業作品にして岳楓導演、陳星、倉田保昭、そしてポーリー・シャンカンこと上官霊鳳主演『趕盡殺絕』(73)なんですが、これが昔から出回っている同作品の英語吹き替え版ではなくて、ちょっと前に入手したまま放置状態だったオリジナル北京語版&ワイドスクリーン仕様のDVDでの鑑賞となりました。ちなみにこのDVD、ボタン一つで北京語版から英語吹き替え版に音声トラックが変更可能という“優れ物ソフト”であります。
物語的には陳星率いる高雄&岑潛波一派、馬驥と上官霊鳳親子、かつては馬驥の弟子でありながら極悪人となった倉田、そして山茅率いる軍部が金貨を巡ってお互いに争奪戦を繰り広げるといった展開です。ちなみに武術指導は梁少松と梁小龍&李銘文(即:金銘)です。
さて、映画の中では紅一点のポーリー嬢ながら、この『趕盡殺絕』に出演した後辺りからポーリー嬢はその風貌が著しく派手(恐らくは整形手術)になっていくんですが、本作『趕盡殺絕』出演時のポーリーはまだまだ可憐な佇まいを残していますね。
ただ映画の序盤で実現するドラゴンvsポーリーの一騎打ちでは、ドラゴンが女武打星であるポーリーに蹴りを入れるシーンなどで明らかに手加減しているのが判りますねえ(苦笑)。まあその分後半での陳星vsドラゴンの一騎打ちではもう2人が「いやあああ!」「どりゃああ!」と両手を派手に旋回させて相手を威嚇するあの“バッシャー・ポーズ”を何度も見せながらひたすらガンガン!とド突き合いを見せてくれるのが嬉しいんですが・・・。
まあこの『趕盡殺絕』でのドラゴンは映画の中盤でポーリー嬢に射殺されてしまい残念ながら途中で画面から姿を消してしまうんですが、その後は数々の文芸映画で名を馳せた岳楓導演らしく、ポーリー嬢が金貨の在り処を教える事を条件に捕らえられた陳星の釈放を山茅長官に迫ったり、ラストでは“意外な人物”の裏切りがあったりと、映画の売りであるアクションだけではなく、劇中における生々しい人間ドラマの部分でもジックリと見せてくれている点に注目したいですね。
また岳楓導演の武侠片におけるベストワークですが、これは龍熱が以前から何度も触れているように、岳楓導演が邵氏公司において張翼主演で撮った武侠片『魔魂鈴(又題: 奪魂鈴)』(68)である事に間違いないので、是非皆さんにも機会がありましたら『魔魂鈴』をご覧になってみて頂きたいと思います。
さて、最後にこの『趕盡殺絕』の主演である“香港のブロンソン”こと陳星について簡単に触れておきましょう。
インドネシアの華僑にして本物の空手の名手であった陳星は、1968年から香港の邵氏公司で武師として活動していましたが、その後“陽剛導演”張徹に見出され『続・片腕必殺剣』(69)などで頭角を現し邵氏公司と5年契約を結びます。しかし契約から3年経った辺りから“独裁的専属契約制度”で知られた邵氏公司と陳星の間で徐々に待遇面、つまり金銭面などでの軋轢(ここの過程の詳細は細かく書くと延々と長文になってしまうので割愛します)が生まれ、陳星は邵氏公司からの独立を強く望む事となります。しかし陳星と邵氏公司の間には依然として様々な契約が存在していた事もあり、そこで陳星は“策略”を練り、邵氏公司に対し「俺はシンガポールで空手の教練になるよ!」と伝え、それを信じた邵氏公司は陳星との契約を解除します。それが1971年の11月の事です。
ところが、陳星はその後にシンガポールに行くどころか、そのままシラ〜ッと香港に留まると(苦笑)、既に邵氏公司を飛び出していた呉思遠率いる富國公司で当時はまだ若手だった陳観泰との共演作品『蕩寇灘』(72)に主演します!
この陳星の裏切りを知った邵氏公司は直ぐに法的手段に訴えようとしますが、邵氏公司と陳星の間で交わした契約解除は合法だった事もあり、呉思遠&陳星コンビによる『蕩寇灘』は順調に撮影が進み、遂には公開に向けてノンストップ状態となります。
しかし、しかし(苦笑)、富國公司に完全に“赤っ恥”をかかされた事に激怒した邵氏公司と張徹導演は、ならば!と当時まだ邵氏公司と長期契約を結んでいなかった陳観泰を『蕩寇灘』の撮影中であるにもかかわらず強引に邵氏公司に呼び戻すと、張徹導演が陳観泰を“張家班”の1員として迎えると共に、改めて邵氏公司の長期契約演員として起用するという“報復行為”に出ます。そのため後に完成&公開された『蕩寇灘』での陳観泰の出演シーンの幾つかでは、汪禹が陳観泰の代わりにマスクで顔を隠す形で“代役出演”せざるを得なくなるという“ヘンテコ編集”作品となったのでした。
こうして邵氏公司から富國公司と渡り歩いた陳星は『蕩寇灘』の大ヒットを経て、今度は1972年の11月に黄卓漢率いる第一影業と10本の映画出演契約を結び、いよいよ陳星は“香港のブロンソン”として、その真の意味での武打星黄金時代へと踏み出す事となるのです!!