昨日1月7日に邵氏兄弟公司創立者のランラン・ショウこと邵逸夫が死去しました。106歳(107歳の報道もあり)でした。詳しくはこちらをご覧下さい→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140108-00000015-rcdc-asent
今は一世紀という長きに渡る人生を堂々と生き切った六叔の突然の訃報に対して言葉もありませんが、私自身にとって邵逸夫の存在はリーさんこと李小龍と共に、邵逸夫が世にお送り出した沢山の邵氏兄弟公司作品も含めて大変大きな影響を受けた人でした。
昨年発売された「語れ!ブルース・リー」で私が執筆しました『ドラゴン危機一発』(71)作品解説の導入部分で、敢えて邵氏兄弟公司とリーさんの契約交渉の新事実を含めた過程にかなりの部分を割いたのも、邵逸夫と邵氏兄弟公司の激動の歴史、そして李小龍が香港映画界に巻き起こした“猛龍革命”を語る上において、この「邵氏兄弟公司と李小龍の交渉決裂!」は決して避けては通れない重要な分岐点的事件だったからでした。
「李小龍を獲得できなかったのは一生の不覚!」と嘆いた邵逸夫は、その後は自分の部下だった鄒文懐率いる嘉禾公司に李小龍を奪われ、成龍ことジャッキー・チェンの台頭などもあり、85年には遂に邵氏兄弟公司の映画製作休止という決断を強いられます。
しかし邵逸夫はその窮地を映画製作からテレビ製作の香港無線電視(TVB)へと事業を移行する事で乗り切り、結果的には邵氏兄弟公司という映画帝国は、長年の間に様々な形態を経ながらも、いま現在も立派に存在しています。そう、邵逸夫の人生において“敗北”という言葉は最後まで無縁だったのです。
確かに邵逸夫自身の言葉でその栄光と波乱の人生を語る機会が殆ど無かった事は残念ではありますが、それでも邵逸夫の人生の殆どをパートナーとして生きた“女帝”モナ・フォンこと方逸華がまだ健在です。願わくば、今後は方女史によって邵逸夫こと六叔の生涯の一端が少しでも明かされる日が来る事を願いたい気持ちですが、今はただただ香港映画最大の偉人にして伝説の映画人である邵逸夫の106年の人生に心からの敬意を表したいと思います。合掌。
今は一世紀という長きに渡る人生を堂々と生き切った六叔の突然の訃報に対して言葉もありませんが、私自身にとって邵逸夫の存在はリーさんこと李小龍と共に、邵逸夫が世にお送り出した沢山の邵氏兄弟公司作品も含めて大変大きな影響を受けた人でした。
昨年発売された「語れ!ブルース・リー」で私が執筆しました『ドラゴン危機一発』(71)作品解説の導入部分で、敢えて邵氏兄弟公司とリーさんの契約交渉の新事実を含めた過程にかなりの部分を割いたのも、邵逸夫と邵氏兄弟公司の激動の歴史、そして李小龍が香港映画界に巻き起こした“猛龍革命”を語る上において、この「邵氏兄弟公司と李小龍の交渉決裂!」は決して避けては通れない重要な分岐点的事件だったからでした。
「李小龍を獲得できなかったのは一生の不覚!」と嘆いた邵逸夫は、その後は自分の部下だった鄒文懐率いる嘉禾公司に李小龍を奪われ、成龍ことジャッキー・チェンの台頭などもあり、85年には遂に邵氏兄弟公司の映画製作休止という決断を強いられます。
しかし邵逸夫はその窮地を映画製作からテレビ製作の香港無線電視(TVB)へと事業を移行する事で乗り切り、結果的には邵氏兄弟公司という映画帝国は、長年の間に様々な形態を経ながらも、いま現在も立派に存在しています。そう、邵逸夫の人生において“敗北”という言葉は最後まで無縁だったのです。
確かに邵逸夫自身の言葉でその栄光と波乱の人生を語る機会が殆ど無かった事は残念ではありますが、それでも邵逸夫の人生の殆どをパートナーとして生きた“女帝”モナ・フォンこと方逸華がまだ健在です。願わくば、今後は方女史によって邵逸夫こと六叔の生涯の一端が少しでも明かされる日が来る事を願いたい気持ちですが、今はただただ香港映画最大の偉人にして伝説の映画人である邵逸夫の106年の人生に心からの敬意を表したいと思います。合掌。