さて、「THIS IS 甄子丹」第76回は、ちょっと昔のドニー兄貴の思い出話として、私が主宰していた同人誌「龍熱」が緊急臨時増刊号として発行した「“ボストンの虎”ドニー・イェン完全特集号」でいきましょう。
この増刊号を発行した頃は、私は既に商業誌デビューしていたか、する直前だったかと思いますが、このドニー兄貴特集号こそが内容&読者の熱い反響と共に間違いなく同人誌「龍熱」の頂点だったと思います。
そしてこのドニー兄貴特集号は、発行後に谷垣健治監督のご厚意で香港のドニー兄貴本人の手に渡る、というドラマチックな展開を迎えます!!
私は今でも健治監督から聞いた、ドニー兄貴が自分を大特集した「龍熱」を読んだ直後に興奮した様子で健治監督に語った感想の一語一句を覚えています。
ドニー兄貴「このファンジンは凄いぜ!俺が忘れてしまってるデビュー前後の作品までフォローしてるよ。この知野二郎ってどんな男なんだ?この男と1度話してみたいな。健治、俺の携帯の番号をこの知野って男に教えてもいいから是非連絡来れって伝えてくれないか?」
で、私は実際にその後にドニー兄貴の携帯番号を貰ったんですよ。これ本当です。でも・・・私はドニー兄貴に結局電話はしませんでした。
その理由は皆さんも何となく判って頂けると思います。そして私とドニー兄貴の本当の対面はその後の1998年は6月に新宿で実現する事となります。
その後の「ドニー・イェン特集号」ですが、ドニー兄貴の「健治、二郎に言って俺の特集号もう何冊か貰ってくれ!」との御達し(^_^)があり、結局ドニー兄貴は自分の特集号を2、3冊は持っていると思います。
この「ドニー・イェン特集号」、漫画家でドニー兄貴の大ファンのHMさんが香港のドニー兄貴のオフィスに行った時に「龍熱さんのドニー特集号、ちゃんとドニーのデスクの上に置いてありましたよ♪」との事で、まあドニー兄貴も愛読してくれていた事も判って何よりでした(^_^)。いやドニー兄貴の思い出話、話始めると止まりませんねえ!
この増刊号を発行した頃は、私は既に商業誌デビューしていたか、する直前だったかと思いますが、このドニー兄貴特集号こそが内容&読者の熱い反響と共に間違いなく同人誌「龍熱」の頂点だったと思います。
そしてこのドニー兄貴特集号は、発行後に谷垣健治監督のご厚意で香港のドニー兄貴本人の手に渡る、というドラマチックな展開を迎えます!!
私は今でも健治監督から聞いた、ドニー兄貴が自分を大特集した「龍熱」を読んだ直後に興奮した様子で健治監督に語った感想の一語一句を覚えています。
ドニー兄貴「このファンジンは凄いぜ!俺が忘れてしまってるデビュー前後の作品までフォローしてるよ。この知野二郎ってどんな男なんだ?この男と1度話してみたいな。健治、俺の携帯の番号をこの知野って男に教えてもいいから是非連絡来れって伝えてくれないか?」
で、私は実際にその後にドニー兄貴の携帯番号を貰ったんですよ。これ本当です。でも・・・私はドニー兄貴に結局電話はしませんでした。
その理由は皆さんも何となく判って頂けると思います。そして私とドニー兄貴の本当の対面はその後の1998年は6月に新宿で実現する事となります。
その後の「ドニー・イェン特集号」ですが、ドニー兄貴の「健治、二郎に言って俺の特集号もう何冊か貰ってくれ!」との御達し(^_^)があり、結局ドニー兄貴は自分の特集号を2、3冊は持っていると思います。
この「ドニー・イェン特集号」、漫画家でドニー兄貴の大ファンのHMさんが香港のドニー兄貴のオフィスに行った時に「龍熱さんのドニー特集号、ちゃんとドニーのデスクの上に置いてありましたよ♪」との事で、まあドニー兄貴も愛読してくれていた事も判って何よりでした(^_^)。いやドニー兄貴の思い出話、話始めると止まりませんねえ!