「死亡遊戯SP~君は“フィリピンの魔杖師”パスカルを見たか!?」①
2000年11月24日。時は来た!私こと龍熱は某映画雑誌の編集者数人と共に都内はアートポート(以下AP)本社ビルの前に立っていました。
そう、その目的こそ「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」(00)公開に合わせて来日を果たしたダン・イノサントにインタビュー取材を敢行するためでした。
これこそ私にとってその後の苗可秀、黄家達、洪金寶、李振輝と直撃インタビューが続く事となる“「死亡遊戯」探しの旅”という名の五重塔における大きな試練の第1弾となったのでした。
ところが、当日編集者が指定時間よりも大幅に早くAPに到着したため、APの人に「ちょっと外でお待ち下さい」と言われてしまい(ってそりゃそうだ)、私たちはAPのビル前の路上で待機を余儀なくされたのでした。
この時、同行した某映画監督が何やらバッグの中にゴソゴソと2本の赤い棒を忍ばせているのに気が付いた私がそれを問い質すと「いやこれ僕のヌンチャクに赤のガムテープを巻いた「死亡遊戯」のパスカル仕様のヌンチャク。もしチャンスがあったらイノサントに廻して貰おうと思って!」とボソボソと言うので、私は今日のインタビューが無事に終わる事をひたすら祈るのみでした(^。^)。
と、その時、AP本社前で待機している私たちの前を大きな荷物を抱えた中村頼永さんが通り過ぎて行くではないですか!?
私はこの時初めて生の中村さんと出会ったのですが、さすがにこれから“フィリピンの魔杖師”とのインタビュー対決を控えている身としては中村さんに気軽に声をかける気にもなれず、この時はそのまま中村さんが歩き去るのを見送ったのでした。そう、まさに気分は“新界”ならぬAPの野外で五重塔を守る凄腕の空手家軍団に出会った気分の私でした。
そしてやっとAPの社内に案内されると、何と今度はそこに澤田謙也(現:拳也)さんが立っているではないですか!?
恐らくはAP社から発売の「ホーク/B計画」DVDの映像特典を撮影するために来社していた澤田さんはとても気さくな方で、1階待合室にある社内電話を取って「あ、いま取材の方がいらっしゃってますよ?」と上階のAPの関係者の方に連絡までして下さるという、ナイスなフォロー振り(^。^)。
さあ、五重塔じゃなくて、ビルの野外で中村頼永、ビル内の1階で黄仁植ならぬ澤田謙也を何とか突破した私たちは、エレベーターでビルの“3階”・・・ではなく最上階に一気に昇っていきます!!
果たして、ハイテンション状態の私の前のエレベーターの扉が開くとそこは広い会議室で、いきなり目の前に黒の革ジャン姿の小柄な男性の姿が飛び込んで来た!ダン・イノサントです!間違いない。本人です。
そう、あの「死亡遊戯」でリーさんことビリー・ローと世紀のヌンチャク戦を繰り広げた“フィリピンの魔杖師”が静かに立ち、こちらを見ています。
その場に同席のIUMAの阿部剛士さん(BFCのOB)と柳沢さん(中村さんの奥様)と挨拶を済ませた私が改めてイノサント師父に挨拶をしようと、イノサント師父に歩み寄ると、私を前にしたイノサント師父の口から思いも寄らぬ英語の一言が放たれたのでした!
イノサント師父「良かったら、貴方の名刺を頂けますか?」
龍熱「えっ?」
まさに“フィリピンの魔杖師”のカリ・スティックの強烈な先制攻撃で幕を開けたダン・イノサントvs龍熱のデスゲーム・バトル!!
以下、「死亡遊戯SP~君は“フィリピンの魔杖師”パスカルを見たか!?」第2回を待て!!