「死亡遊戯SP~君は“フィリピンの魔杖師”パスカルを見たか!?」③
今回のダン・イノサント師父とのインタビューで、私が最も重要視していたのが当時はまだその映像が行方不明だった五重塔は3階“虎殿”の冒頭のイノサント師父vs丸太を持った解元のファイトシーン、そして同じく行方不明だった新界野外ロケでのイノサント師父vs胡奀のファイトシーンの詳細をイノサント師父に訊く事でした。私がまずは新界野外ロケについてイノサント師父に訊くと・・・
イノサント師父曰く「あのニューテリトリーの撮影は私やカリームなど塔の番人のデモンストレーションとして撮影したんだ。
要するに各階を守る番人たちがどんな武術のエキスパートかを(観客に)判らせるためにね。その時はブルースとカメラマン、スタントマンを含めて何人かでニューテリトリーに行ったよ。
その場に韓国の武術家たちがいたかって?いやいなかったよ。ブルースと私のファイトシーン?いや撮ってないよ。君が言っている私とブルースがヌンチャクを手にポーズしているのはスチール撮影だけだったはずだよ。私たちの背景に塔のセットが映っているのが私とブルースが「死亡遊戯」の本番用に撮影したファイトシーンだよ」
このイノサント師父の証言で重要な点が2つあります。一つはリーさんとイノサント師父たちJKDチームが新界で野外ロケを行った時には、池漢載&黄仁植の韓国チームが同行していなかった事。
つまりリーさんは少なくとも新界の野外ロケにはJKDチームで1回、韓国チームで1回、と最低でも2度足を運んでいる事がこれで判明しました。あとは小麒麟が何時新界ロケに同行していたか、でしょう。
もう一つはリーさんがイノサント師父相手にヌンチャクを構えてポーズしている、如何にも本番アクション風のスチールは、やはりスチール写真のみでフィルムは廻していなかった事です。
これはリーさんvsイノサント師父の野外でのヌンチャク戦の映像の存在を期待していたファンの方にはとても辛い現実かも知れませんが、出演者であるイノサント師父本人の証言なので、残念ながらこの事実を受け止めるしかないと思います。
私はさらに多くの「死亡遊戯」が公開を熱望するイノサント師父vs解元の丸太戦についてもイノサント師父に訊きました。
イノサント師父曰く「あの“虎殿”のファイトシーンでは、私は最初に黒い胴着を着て丸太を持った男に向かって2本のカリ・スティックを何度も叩いて見せるんだ。
ほら、こうやってね!(とその場でシャープペンとペットボトルで再現!)これはエスクリマの儀式で「自分はこれからお前と闘う!」の意志表示なんだ。他にも色々な構えがあって、状況によってカリを十字に構えたりもするんだよ。
あの黒い胴着を来た男はマレーシアの華僑か何かだったと思うけど空手をやっていたと思う。彼が丸太を持って私に突進して来て、私がその丸太をカリで叩き落とすんだ。このマレーシア人はもう亡くなっているはずだよ。
その後にもう1人の中国人(田俊)が短い棒で私と闘うんだけど、私が彼も同じく撃退したところに、下の階からブルースが上がって来て、私と闘うってわけさ。何故ならブルースはその時まで下の階で螳螂拳の達人と闘っていた、という設定なんだ」
このイノサント師父の証言から、私も含めた皆さんもイノサント師父が如何に素晴らしい記憶力の持ち主である事が十分にお判りになって頂けたと思います。
ただ残念だったのが、この2000年当時の私は「死亡遊戯」の本当の初期の題名が「黄面虎」であり、それを72年の9月25日から始まった“虎殿”の撮影セットで使用していたカチンコに実際に記載されていたという事実に辿り着いていなかった事もあって、「死亡遊戯」という謎多き作品における最も重要なこの事実に関してイノサント師父に確認する事が出来なかった事でした。
この初期題名「黄面虎」に関しては、やれ撮影会だけで終わった「細鳳」の題名が「黄面虎」だったとか古い文献から仕込んだ情報を唱えている人がいるようですが、私はその「死亡遊戯」に対する探究心は決して否定はしませんし、むしろ尊重したいと思います。
ただ私は十分なリサーチを経た上で、絶対の自信と共にこの「死亡遊戯」の初期題名が「黄面虎」であった事を書籍「語れ!ブルース・リー」の「死亡遊戯」のパートに執筆しました。
それはプロフェッショナルな香港功夫映画評論家としての執筆であり、そこら辺のコンビニでコピーした同人誌を売り飛ばしている人間とは、その立場も、モチベーションも、責任感も全く異なる高い次元での執筆である事を自負しています。
以前から触れていますが「死亡遊戯」の研究は私のライフワークです。いずれ、この「死亡遊戯」の初期題名が「黄面虎」である、との歴史的事実がその映像と共に明らかになる時が来るでしょう。
私の原稿に異を唱えている方々には、その時になって「ああ、龍熱が書いていた事は事実だったんだ」と判って頂ければ、私はそれだけで十分に満足です(^_^)。
さあ、次回の「死亡遊戯SP~君は“フィリピンの魔杖師”パスカルを見たか!?」はいよいよ大結局となります。どうぞお楽しみに!!
今回のダン・イノサント師父とのインタビューで、私が最も重要視していたのが当時はまだその映像が行方不明だった五重塔は3階“虎殿”の冒頭のイノサント師父vs丸太を持った解元のファイトシーン、そして同じく行方不明だった新界野外ロケでのイノサント師父vs胡奀のファイトシーンの詳細をイノサント師父に訊く事でした。私がまずは新界野外ロケについてイノサント師父に訊くと・・・
イノサント師父曰く「あのニューテリトリーの撮影は私やカリームなど塔の番人のデモンストレーションとして撮影したんだ。
要するに各階を守る番人たちがどんな武術のエキスパートかを(観客に)判らせるためにね。その時はブルースとカメラマン、スタントマンを含めて何人かでニューテリトリーに行ったよ。
その場に韓国の武術家たちがいたかって?いやいなかったよ。ブルースと私のファイトシーン?いや撮ってないよ。君が言っている私とブルースがヌンチャクを手にポーズしているのはスチール撮影だけだったはずだよ。私たちの背景に塔のセットが映っているのが私とブルースが「死亡遊戯」の本番用に撮影したファイトシーンだよ」
このイノサント師父の証言で重要な点が2つあります。一つはリーさんとイノサント師父たちJKDチームが新界で野外ロケを行った時には、池漢載&黄仁植の韓国チームが同行していなかった事。
つまりリーさんは少なくとも新界の野外ロケにはJKDチームで1回、韓国チームで1回、と最低でも2度足を運んでいる事がこれで判明しました。あとは小麒麟が何時新界ロケに同行していたか、でしょう。
もう一つはリーさんがイノサント師父相手にヌンチャクを構えてポーズしている、如何にも本番アクション風のスチールは、やはりスチール写真のみでフィルムは廻していなかった事です。
これはリーさんvsイノサント師父の野外でのヌンチャク戦の映像の存在を期待していたファンの方にはとても辛い現実かも知れませんが、出演者であるイノサント師父本人の証言なので、残念ながらこの事実を受け止めるしかないと思います。
私はさらに多くの「死亡遊戯」が公開を熱望するイノサント師父vs解元の丸太戦についてもイノサント師父に訊きました。
イノサント師父曰く「あの“虎殿”のファイトシーンでは、私は最初に黒い胴着を着て丸太を持った男に向かって2本のカリ・スティックを何度も叩いて見せるんだ。
ほら、こうやってね!(とその場でシャープペンとペットボトルで再現!)これはエスクリマの儀式で「自分はこれからお前と闘う!」の意志表示なんだ。他にも色々な構えがあって、状況によってカリを十字に構えたりもするんだよ。
あの黒い胴着を来た男はマレーシアの華僑か何かだったと思うけど空手をやっていたと思う。彼が丸太を持って私に突進して来て、私がその丸太をカリで叩き落とすんだ。このマレーシア人はもう亡くなっているはずだよ。
その後にもう1人の中国人(田俊)が短い棒で私と闘うんだけど、私が彼も同じく撃退したところに、下の階からブルースが上がって来て、私と闘うってわけさ。何故ならブルースはその時まで下の階で螳螂拳の達人と闘っていた、という設定なんだ」
このイノサント師父の証言から、私も含めた皆さんもイノサント師父が如何に素晴らしい記憶力の持ち主である事が十分にお判りになって頂けたと思います。
ただ残念だったのが、この2000年当時の私は「死亡遊戯」の本当の初期の題名が「黄面虎」であり、それを72年の9月25日から始まった“虎殿”の撮影セットで使用していたカチンコに実際に記載されていたという事実に辿り着いていなかった事もあって、「死亡遊戯」という謎多き作品における最も重要なこの事実に関してイノサント師父に確認する事が出来なかった事でした。
この初期題名「黄面虎」に関しては、やれ撮影会だけで終わった「細鳳」の題名が「黄面虎」だったとか古い文献から仕込んだ情報を唱えている人がいるようですが、私はその「死亡遊戯」に対する探究心は決して否定はしませんし、むしろ尊重したいと思います。
ただ私は十分なリサーチを経た上で、絶対の自信と共にこの「死亡遊戯」の初期題名が「黄面虎」であった事を書籍「語れ!ブルース・リー」の「死亡遊戯」のパートに執筆しました。
それはプロフェッショナルな香港功夫映画評論家としての執筆であり、そこら辺のコンビニでコピーした同人誌を売り飛ばしている人間とは、その立場も、モチベーションも、責任感も全く異なる高い次元での執筆である事を自負しています。
以前から触れていますが「死亡遊戯」の研究は私のライフワークです。いずれ、この「死亡遊戯」の初期題名が「黄面虎」である、との歴史的事実がその映像と共に明らかになる時が来るでしょう。
私の原稿に異を唱えている方々には、その時になって「ああ、龍熱が書いていた事は事実だったんだ」と判って頂ければ、私はそれだけで十分に満足です(^_^)。
さあ、次回の「死亡遊戯SP~君は“フィリピンの魔杖師”パスカルを見たか!?」はいよいよ大結局となります。どうぞお楽しみに!!