1970年代中盤、長弓公司を閉じて台湾から香港に帰って来た張徹監督は、その台湾から10数人のスタントマンを香港に連れて帰ります。
この時期の邵氏公司では台湾で張徹監督と喧嘩別れして香港に帰り初監督作品「神打」(75)を成功させた劉家良が傑作群を連打し日の出の勢いで躍進を続けていました。
何としても劉家班の勢いを止めるため、張徹監督は脚本担当の倪匡らブレインを集めると、新感覚の武打片を撮ろうとあれこれと知恵を絞るのでした。
そのブレインの中の1人が詠春拳界の異端児と言われた梁挺でした。
梁挺は張徹監督が台湾から連れ帰った京劇出身の3人のスタントマン、テコンドー高手、そして香港出身の南派蟷螂拳高手ら5人の若手武打星を主役とした全く新しいテイストの武打片の脚本を倪匡と共に完成させた事を知ると、冒険を恐れ作品製作を渋る張徹監督の背中を押し続け、この未知の暗黒武打片製作を強く支持すると、梁挺自らも武術顧問を引き受けます。
そう、その作品こそが「五毒拳」(78)でした。呪われた門派である五毒門でそれぞれがお互いの顔を知らぬまま毒ヤモリ、毒ムカデ、毒蝦蟇、毒蠍と異様にして邪悪な拳を修行した5人の拳士が世に放たれ、莫大な財宝を巡って潰し合いを展開する様を描いた「五毒拳」。
実は当初のプロット段階では本作にはもう1人の毒派拳士が登場する予定でした。
それが五毒門ただ1人の女性拳士である毒蜘蛛でした。一説にはこの毒蜘蛛拳士には楊菁菁がキャスティング予定だったとも言われていますが、折角の毒蜘蛛拳士の案も、自分の作品で女性が活躍する事を嫌った張徹監督の鶴の一声でアッサリとお蔵入りしてしまうのでした。
こうして5人に加えてもう1人の男性武打星を加えて6人の主役が決まった“暴力導演”張徹の新たなる挑戦にして暗黒武打片「五毒拳」はいよいよ撮影開始を迎えるのだった!!我ら“毒”を喰らわば“五毒”なり!
We are Chang Cheh's dear sons.Yes we are Venoms !!