「死亡遊戯」最初で最後の真実⑨。
00年に公開された「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」を観た私たちはダン・イノサント演じるフィリピノ・カリの達人が見せるこれまで観た事がない華麗かつ迫力満点のカリ・テクニックの冴えに呆然としました。
それは78版「死亡遊戯」でオリジナル版から滅多滅多編集された事によりビリー・ローにほぼ一方的に倒されるだけのパスカルに扮したイノサントとは全く異なる“フィリピンの魔杖師”の真の姿だったからです。
この「GOD」のイノサントを観た時から、私たちの「何としても欠落している“虎殿”冒頭のイノサントvs田俊&解元戦が観たい!」との願望はさらに強まったわけです。その“虎殿”の丸太戦映像が長年に渡り行方不明になっていた理由に関して最も広く知られた説に「78版「死亡遊戯」制作の際、そこ(“虎殿”)にブルース・リーが映っていないから、その丸太戦のフィルムは破棄された」でした。
この説(以下「某説」)は半分は正しくて、半分は誤りでした。
つまり想像するに78版「死亡遊戯」編集の際に使用された約96分のラフカットには冒頭の“虎殿”のシーンの直後から収録されていましたが、確かにここまでの展開はリーさんがまだ下階の“豹殿”でターキー木村と闘っている設定のためリーさんの出番はないわけです。
そのためマスタープリントからラフカットにコピーする際の編集担当者が丸太戦が収録されたフィルム・リールの次、つまりフィルム・リールの第2巻からコピーしたと思われます。これが某説のある意味では正しい部分です。
そして某説の誤りの部分ですが、そのラフカットを生んだ約110分のマスタープリントは、その後も決して破棄などされる事など無く、何十年もの間に嘉禾公司、メディア・アジア、フォーチュン・スターのフィルム倉庫を転々としながらも、今日までシッカリと存在し続けていたわけです。
では今だ闇のベールに包まれたままの“虎殿”のイノサントvs田俊&解元のファイト・シーンとはどのような攻防なのか?その幻の丸太戦に最も肉薄した文献がジョン・リトル著「A Warriors Journey」本である事は認めないわけにはいかないでしょう。(それでも「燃えよドラゴン」ディレクターズ版のリトルの吹き替えは酷かったですが(^。^))
何故ならこの「WJ」本に記載された丸太戦の攻防は、私がイノサント本人から聞いた丸太戦の攻防と殆ど同じだったからです。
ただ細かい点では、田俊と解元が“虎殿”に上がって来た時、彼ら2人を虎の毛皮の椅子に座って待ち構えているイノサントの横に武器(カリ・スティック)が入った「バッグ」がある、との記述は実際に撮影された映像で見られる「台座」とは異なっているという点は指摘しておきたいと思います。
そして私が“虎殿”のファイト・シーンで丸太戦以上に注目したいのが今回貼った素手で身構えるダン・イノサントの写真です。
「ブルース・リーの神話」にほんの数秒だけ収録されているカリ・スティックを捨て素手となったイノサントが、同じく丸太を床に叩き落とされ素手となった解元相手に披露する怒涛の打撃技“死の舞い”の直後に見せたこの螳螂拳を彷彿させる構え。果たして解元を倒した素手のイノサントは(何処かに隠し持っていた)棍棒を手にした田俊とどのような闘いを見せるのか?そして「GOD」には未収録だったまさに観る者が息を呑むようなイノサントのカリ・スティック裁きがまだ観られるのか?
その答えは06年に発掘された幻の丸太戦を含んだ「死亡遊戯」のマスター・プリントが入ったフィルム・リールが開けられた時に明らかとなるでしょう。いつ何時、そして何時までも「死亡遊戯」の話ができる!!(いよいよ次回は大結局だ!)
「死亡遊戯」最初で最後の真実⑩(大結局)。
あれは1999年前後だったか、香港で2度に渡って行われた「死亡遊戯」ラフカット上映会から帰国したリーさん信者たちが私に興奮気味にこう言ってくれました。
「いや~ラフカットは龍熱さんが「101匹ドラゴン」の「闇の中に誰も知らない「死亡遊戯」を観た!」で話していた内容と殆ど同じ、いやその通りでした!」。
私はそのリーさん信者の賞賛と感想を聞きながら半分は嬉しく、また半分は自分がラフカット上映会に行けなかった事がとても悔しかったのを今も覚えています。
その時期の私は後に代表著作となる「香港功夫映画激闘史」を執筆中で、それこそ自宅で資料の収集や描き下ろし原稿と日々格闘中だったんですね・・・。
その後の私の周辺には「死亡遊戯」を巡る様々な事柄が起きていきました。まずは「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」の完成と公開。ダン・イノサントとの対面と“虎殿”丸太戦の詳細の取材。「A Warriors Journey」の完成と公開。苗可秀との対面と「死亡遊戯」出演オファーの確認。黄家達との対面と「死亡遊戯」出演オファーの確認。「死亡遊戯」の約96分のラフカットの入手。サモ・ハンとの対面と金泰靖vs黄仁植戦撮影の確認。歐錦棠さんとの対面と丸太戦発掘成功の証言。李振輝との対面と「死亡遊戯」フォト・セッション詳細の取材などなど・・・私はこれら「死亡遊戯の旅」という名の道程を通じて少しずつ、本当に少しずつではありますが、長年に渡って追い求めて来た「最初で最後の真実」に迫りつつあったのかも知れません。
その「最初で最後の真実」とは、もしかしたら“虎殿”の丸太戦映像や新界での野外ロケ映像なのかも知れませんし、もしかしたらリーさんがジョージ・レーゼンビーに見せるために自分で編集した約28分間の五重塔ファイト、または西本正さんが編集した約7分間の五重塔内ファイトのダイジェスト映像、あるいは約2時間のVHSに収録された78版「死亡遊戯」の映像素材なのかも知れません。
思えば、私の「死亡遊戯」に対する異常(?)な執着とは正反対に、遥か昔から世間一般の「死亡遊戯」に対する関心と評価、それは厳しい物がありました。
映画の主演武打星が遺した僅か11分のアクション・シーンから1本の劇場公開映画を作る。それは私たちリーさん信者にとっては“壮大な挑戦”であっても、一般社会から見れば“無謀な愚行”にしか見えなかった事でしょう。
私は今でも以前に某女性ライターとの会話の中で、女性ライターがある洋画を称して「こんなツギハギだらけの映画なんて・・・ブルース・リーの映画じゃないんだから!」と言い放った一言が決して忘れられません。
その“ツギハギだらけの映画”が私の大好きな「ブルース・リー死亡遊戯」と「ブルース・リー死亡の塔」を差している事は明らかで、私はこの瞬間から「何時の日か必ず「死亡遊戯」をリーさんの5本目の“主演映画”として、「死亡の塔」を“80年代最高の香港クンフー映画”として世間に認めさせてみせる!」と固く誓いました。
その2つの作業は私にとって時にやり甲斐があり、また時に困難な文字通りの“聖戦”でした。ある時は味方のはずの雑誌編集者から「また「死亡の塔」ですか?何でそんなにあんな映画に拘るんですか?」と呆れ顔をされる事もあったりと決して平坦な道ではありませんでしたが、今では映画祭などの特集上映やCS特番などでリーさん作品が放送される際に「死亡遊戯」は必ずラインナップに入りますし、「死亡の塔」も金泰靖という類まれなる韓国武打星に対する再評価と共に袁家班のベストワークとの評価を得ています。(そして我らが「死亡の塔弁護士会」も発足しています(^_^))
勿論、そこに至るまでは私1人の力ではなく、全国のリーさん信者の皆さんが私の著作や発言を熱く熱く支持して下さったおかげであり、言わば「龍熱者」たち全員の勝利でした。
そして00年に「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」という40分にも及ぶ“完全無欠”の塔内ファイトをクライマックスに用意した劇場公開映画が公開された事で、今では78版「死亡遊戯」を“ツギハギだらけの映画”と呼ぶ人間はいないでしょう。
ただそれでも私の「死亡遊戯の旅」はまだこれからも続きます。
それは1973年の7月20日を境にバラバラに散り、行方知らずとなってしまった「死亡遊戯」未公開映像という無数のパズルの破片を一つ一つ掻き集めるという、まさにゴールすら見えない“終わりなきデス・ゲーム”なのかも知れません。
その無数のパズルの破片が何時の日か全てピッタリと合わさった時、リーさんが私たちに遺してくれた「死亡遊戯」における「最初で最後の真実」の扉が開かれるのです。さあ、映画の題名に敢えて不吉なる“デス・ゲーム”なるタイトルを掲げ、自分に課せられた宿命と全力で闘った男ビリー・ローよ。“死”をも恐れぬ魔人に果敢に闘いを挑んだ勇者ハイテイエンよ。そして自らが“世界最強の格闘家”である事を証明するため五重塔の頂を目指した闘神ブルース・リーよ。いま目の前に待ち受ける“知識を探求する人間物語”という名の“デス・ゲーム”への階段を駆け上がれ!
いつ何時、そして何時までも「死亡遊戯」の話ができる!!
皆さん、今日も当FBをご覧頂き、ありがとうございました。今は只々無事に「「死亡遊戯」最初で最後の真実」を完走出来た事にホッとしています(^_^)。
ブログでの「GOD is Back !」、当FBでの「Talking死亡遊戯」に続く「龍熱的デスゲーム放談」シリーズ第3弾となった「「死亡遊戯」最初で最後の真実」ですが、もし今回の企画を皆さんに喜んで頂けたら私自身こんなに嬉しい事はありません(^_^)。
そして全10回の連載を最後まで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。
先ほども強者のリーさん信者のHさんともう携帯の電池が無くなるまでリーさん&「死亡遊戯」の話を延々と語りまくっていたんですが、改めてリーさんや「死亡遊戯」の話題を1人だけではなく、同好の士と共に熱く濃く語り合える事こそ「李小龍を語る事は喜びである!」を強く実感出来る瞬間だと思っております。皆さん、これからもどうぞよろしくお願い致します!
00年に公開された「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」を観た私たちはダン・イノサント演じるフィリピノ・カリの達人が見せるこれまで観た事がない華麗かつ迫力満点のカリ・テクニックの冴えに呆然としました。
それは78版「死亡遊戯」でオリジナル版から滅多滅多編集された事によりビリー・ローにほぼ一方的に倒されるだけのパスカルに扮したイノサントとは全く異なる“フィリピンの魔杖師”の真の姿だったからです。
この「GOD」のイノサントを観た時から、私たちの「何としても欠落している“虎殿”冒頭のイノサントvs田俊&解元戦が観たい!」との願望はさらに強まったわけです。その“虎殿”の丸太戦映像が長年に渡り行方不明になっていた理由に関して最も広く知られた説に「78版「死亡遊戯」制作の際、そこ(“虎殿”)にブルース・リーが映っていないから、その丸太戦のフィルムは破棄された」でした。
この説(以下「某説」)は半分は正しくて、半分は誤りでした。
つまり想像するに78版「死亡遊戯」編集の際に使用された約96分のラフカットには冒頭の“虎殿”のシーンの直後から収録されていましたが、確かにここまでの展開はリーさんがまだ下階の“豹殿”でターキー木村と闘っている設定のためリーさんの出番はないわけです。
そのためマスタープリントからラフカットにコピーする際の編集担当者が丸太戦が収録されたフィルム・リールの次、つまりフィルム・リールの第2巻からコピーしたと思われます。これが某説のある意味では正しい部分です。
そして某説の誤りの部分ですが、そのラフカットを生んだ約110分のマスタープリントは、その後も決して破棄などされる事など無く、何十年もの間に嘉禾公司、メディア・アジア、フォーチュン・スターのフィルム倉庫を転々としながらも、今日までシッカリと存在し続けていたわけです。
では今だ闇のベールに包まれたままの“虎殿”のイノサントvs田俊&解元のファイト・シーンとはどのような攻防なのか?その幻の丸太戦に最も肉薄した文献がジョン・リトル著「A Warriors Journey」本である事は認めないわけにはいかないでしょう。(それでも「燃えよドラゴン」ディレクターズ版のリトルの吹き替えは酷かったですが(^。^))
何故ならこの「WJ」本に記載された丸太戦の攻防は、私がイノサント本人から聞いた丸太戦の攻防と殆ど同じだったからです。
ただ細かい点では、田俊と解元が“虎殿”に上がって来た時、彼ら2人を虎の毛皮の椅子に座って待ち構えているイノサントの横に武器(カリ・スティック)が入った「バッグ」がある、との記述は実際に撮影された映像で見られる「台座」とは異なっているという点は指摘しておきたいと思います。
そして私が“虎殿”のファイト・シーンで丸太戦以上に注目したいのが今回貼った素手で身構えるダン・イノサントの写真です。
「ブルース・リーの神話」にほんの数秒だけ収録されているカリ・スティックを捨て素手となったイノサントが、同じく丸太を床に叩き落とされ素手となった解元相手に披露する怒涛の打撃技“死の舞い”の直後に見せたこの螳螂拳を彷彿させる構え。果たして解元を倒した素手のイノサントは(何処かに隠し持っていた)棍棒を手にした田俊とどのような闘いを見せるのか?そして「GOD」には未収録だったまさに観る者が息を呑むようなイノサントのカリ・スティック裁きがまだ観られるのか?
その答えは06年に発掘された幻の丸太戦を含んだ「死亡遊戯」のマスター・プリントが入ったフィルム・リールが開けられた時に明らかとなるでしょう。いつ何時、そして何時までも「死亡遊戯」の話ができる!!(いよいよ次回は大結局だ!)
「死亡遊戯」最初で最後の真実⑩(大結局)。
あれは1999年前後だったか、香港で2度に渡って行われた「死亡遊戯」ラフカット上映会から帰国したリーさん信者たちが私に興奮気味にこう言ってくれました。
「いや~ラフカットは龍熱さんが「101匹ドラゴン」の「闇の中に誰も知らない「死亡遊戯」を観た!」で話していた内容と殆ど同じ、いやその通りでした!」。
私はそのリーさん信者の賞賛と感想を聞きながら半分は嬉しく、また半分は自分がラフカット上映会に行けなかった事がとても悔しかったのを今も覚えています。
その時期の私は後に代表著作となる「香港功夫映画激闘史」を執筆中で、それこそ自宅で資料の収集や描き下ろし原稿と日々格闘中だったんですね・・・。
その後の私の周辺には「死亡遊戯」を巡る様々な事柄が起きていきました。まずは「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」の完成と公開。ダン・イノサントとの対面と“虎殿”丸太戦の詳細の取材。「A Warriors Journey」の完成と公開。苗可秀との対面と「死亡遊戯」出演オファーの確認。黄家達との対面と「死亡遊戯」出演オファーの確認。「死亡遊戯」の約96分のラフカットの入手。サモ・ハンとの対面と金泰靖vs黄仁植戦撮影の確認。歐錦棠さんとの対面と丸太戦発掘成功の証言。李振輝との対面と「死亡遊戯」フォト・セッション詳細の取材などなど・・・私はこれら「死亡遊戯の旅」という名の道程を通じて少しずつ、本当に少しずつではありますが、長年に渡って追い求めて来た「最初で最後の真実」に迫りつつあったのかも知れません。
その「最初で最後の真実」とは、もしかしたら“虎殿”の丸太戦映像や新界での野外ロケ映像なのかも知れませんし、もしかしたらリーさんがジョージ・レーゼンビーに見せるために自分で編集した約28分間の五重塔ファイト、または西本正さんが編集した約7分間の五重塔内ファイトのダイジェスト映像、あるいは約2時間のVHSに収録された78版「死亡遊戯」の映像素材なのかも知れません。
思えば、私の「死亡遊戯」に対する異常(?)な執着とは正反対に、遥か昔から世間一般の「死亡遊戯」に対する関心と評価、それは厳しい物がありました。
映画の主演武打星が遺した僅か11分のアクション・シーンから1本の劇場公開映画を作る。それは私たちリーさん信者にとっては“壮大な挑戦”であっても、一般社会から見れば“無謀な愚行”にしか見えなかった事でしょう。
私は今でも以前に某女性ライターとの会話の中で、女性ライターがある洋画を称して「こんなツギハギだらけの映画なんて・・・ブルース・リーの映画じゃないんだから!」と言い放った一言が決して忘れられません。
その“ツギハギだらけの映画”が私の大好きな「ブルース・リー死亡遊戯」と「ブルース・リー死亡の塔」を差している事は明らかで、私はこの瞬間から「何時の日か必ず「死亡遊戯」をリーさんの5本目の“主演映画”として、「死亡の塔」を“80年代最高の香港クンフー映画”として世間に認めさせてみせる!」と固く誓いました。
その2つの作業は私にとって時にやり甲斐があり、また時に困難な文字通りの“聖戦”でした。ある時は味方のはずの雑誌編集者から「また「死亡の塔」ですか?何でそんなにあんな映画に拘るんですか?」と呆れ顔をされる事もあったりと決して平坦な道ではありませんでしたが、今では映画祭などの特集上映やCS特番などでリーさん作品が放送される際に「死亡遊戯」は必ずラインナップに入りますし、「死亡の塔」も金泰靖という類まれなる韓国武打星に対する再評価と共に袁家班のベストワークとの評価を得ています。(そして我らが「死亡の塔弁護士会」も発足しています(^_^))
勿論、そこに至るまでは私1人の力ではなく、全国のリーさん信者の皆さんが私の著作や発言を熱く熱く支持して下さったおかげであり、言わば「龍熱者」たち全員の勝利でした。
そして00年に「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」という40分にも及ぶ“完全無欠”の塔内ファイトをクライマックスに用意した劇場公開映画が公開された事で、今では78版「死亡遊戯」を“ツギハギだらけの映画”と呼ぶ人間はいないでしょう。
ただそれでも私の「死亡遊戯の旅」はまだこれからも続きます。
それは1973年の7月20日を境にバラバラに散り、行方知らずとなってしまった「死亡遊戯」未公開映像という無数のパズルの破片を一つ一つ掻き集めるという、まさにゴールすら見えない“終わりなきデス・ゲーム”なのかも知れません。
その無数のパズルの破片が何時の日か全てピッタリと合わさった時、リーさんが私たちに遺してくれた「死亡遊戯」における「最初で最後の真実」の扉が開かれるのです。さあ、映画の題名に敢えて不吉なる“デス・ゲーム”なるタイトルを掲げ、自分に課せられた宿命と全力で闘った男ビリー・ローよ。“死”をも恐れぬ魔人に果敢に闘いを挑んだ勇者ハイテイエンよ。そして自らが“世界最強の格闘家”である事を証明するため五重塔の頂を目指した闘神ブルース・リーよ。いま目の前に待ち受ける“知識を探求する人間物語”という名の“デス・ゲーム”への階段を駆け上がれ!
いつ何時、そして何時までも「死亡遊戯」の話ができる!!
皆さん、今日も当FBをご覧頂き、ありがとうございました。今は只々無事に「「死亡遊戯」最初で最後の真実」を完走出来た事にホッとしています(^_^)。
ブログでの「GOD is Back !」、当FBでの「Talking死亡遊戯」に続く「龍熱的デスゲーム放談」シリーズ第3弾となった「「死亡遊戯」最初で最後の真実」ですが、もし今回の企画を皆さんに喜んで頂けたら私自身こんなに嬉しい事はありません(^_^)。
そして全10回の連載を最後まで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。
先ほども強者のリーさん信者のHさんともう携帯の電池が無くなるまでリーさん&「死亡遊戯」の話を延々と語りまくっていたんですが、改めてリーさんや「死亡遊戯」の話題を1人だけではなく、同好の士と共に熱く濃く語り合える事こそ「李小龍を語る事は喜びである!」を強く実感出来る瞬間だと思っております。皆さん、これからもどうぞよろしくお願い致します!