さて、ほぼ一ヶ月間に渡ってお届けして来ました「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」も、いよいよ今回が第15回、つまりは大結局となります。
その最終回で取り上げるのは、そう、まさに特集の“ファイナル”に相応しい後藤秀司監督、倉田保昭制作&原案&アクション監督、そして主演を兼任した「ファイナルファイト/最後の一撃」(89)でいきましょう。
倉田さんの武打星人生を大きく区分けすると、デビュー直後の東映時代から、香港で「悪客」(72)などに出演した邵氏公司時代、その後の香港&台湾などでの出演作ラッシュ時代、さらに「帰って来たドラゴン」(74)で日本に凱旋してから「闘え!ドラゴン」(74)や「Gメン75」(75~82)出演などの全盛時代と続きますが、この「ファイナルファイト」はその後、つまり倉田さんが倉田プロモーションを設立し、自らが映画製作に進出した、言わば円熟期に主演した作品です。
映画は香港在住の格闘家である甲斐正彦(倉田さん)が後継者を育成しようと好青年リュウ(任達華)と出会いますが、そのリュウを格闘技大会でベトナムの凶悪な格闘家チョン・リー(楊斯!まさに快演!)に惨殺され、甲斐はそのショックから1度は自暴自棄になるも、一念発起し猛特訓の果てにチョン・リーとの決死戦に挑む!という展開です。
まず、私が本作で驚いたのが倉田さんを初め主要日本人キャストが全編に渡って英語での台詞に挑んでいる事です。それもちゃんと倉田さんは自分で英語の台詞を喋っている!恐らくは世界マーケットを視野に入れての決断だと思いますが、私から見ても倉田さんの劇中の英語の台詞は殆ど違和感も無く、これは相当発音などトレーニングを積んだと察します。
そしてこれまた当時も格闘技ファンの間で大変な話題となった格闘技大会出場者の豪華な面子ですが、まずは巨人ラジャ・ライオン。
撮影中は倉田さんもラジャの奇行(?)は相当苦労させられたそうですが(^_^;)、それでもこのラジャの驚異の巨体は本作に大きなスケール感を与えたと思います。
余談ですが、ラジャ・ライオンは1987年に日本武道館でジャイアント馬場と異種格闘技戦を闘った男として知られていますね。
そのラジャは馬場さんとの武道館決戦前に後楽園ホールに姿を見せると、リング上で馬場さんを挑発し視殺戦を繰り広げるという“前哨戦”を見せていたのは意外に知られていません(^。^)。
さらにストロング金剛。言わずと知れた旧名ストロング小林は国際&新日でトップレスラーとして活躍した人です。ただ金剛が役者に転向するに至ったのは持病の腰痛もありましたが、新日本での藤波辰巳や長州力相手に引き立て役を強いられると言う、ある意味“咬ませ犬”的な扱いに金剛のプライドが著しく傷ついた事もあったと思います。
これらラジャ・ライオンやストロング金剛と「燃えよドラゴン」(73)のボロ役などで知られた楊斯が格闘技大会で激突するんですから、この「ファイナルファイト」が面白くないわけがないでしょう!!
そしてクライマックスの甲斐vsチョン・リー戦。これは数ある倉田保昭の銀幕での闘いにおけるまさにベスト・ファイトになりました。
その壮絶なる甲斐vsチョン・リーの死闘の決着シーンで倉田さんが放つ渾身の空中連続廻し蹴り、これこそ倉田保昭が見せた文字通り魂を込めた“最後の一撃”でしょう。それは70年代初頭からそれこそその身一つで、香港や台湾を舞台に姜大衛、孟飛、陳星、梁小龍、王羽、上官霊鳳、黄元甲、劉家輝、何宗道、王道といった強豪たちと激闘を展開して来た“和製ドラゴン”が私たち観客に向かって叩き着けるかのように訴えかける「俺のクンフー映画に小細工は要らない。ただ肉体と肉体の激突だけで“本物”を見せていくんだ。俺は香港や台湾でこの風を斬り裂く足刀蹴りだけで生き残って来た。俺にはこれしかない。そう、これしかないんだ!!」との“一撃入魂”のメッセージなのだ!!
日本人特有の情感溢れる師弟愛、そして香港クンフー映画で鍛え学んだハイレベルかつパワフルなクンフー・アクションが見事に合致したこの「ファイナルファイト/最後の一撃」は、その後の倉田プロモーション作品「イエロードラゴン」(03)、「柔術」(10)、さらには「レッド・ティアーズ」(12)といった“This is 倉田アクション”の先駆け的作品となったのと同時に、日本を代表する本格派の武打星こそ“和製ドラゴン”倉田保昭である事を証明した記念碑的な作品となったのです。
さて、全15回に渡ってお届けしました「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」如何でしたでしょうか。明日に迫った「和製ドラゴン祭」を少しでも盛り上げようと企画したこの特集ですが、皆さんがこれら15本の倉田保昭作品を振り返る事で、改めて倉田保昭という日本が誇る本格派の武打星の偉大なる足跡を再評価して頂けたら、そして明日の「和製ドラゴン祭」をさらに楽しんで頂けたら、企画&執筆者の私としてはこんなに嬉しい事はありません。
さあ、もう言葉は要りません。明日は倉田アクションクラブ40周年記念企画第二弾「和製ドラゴン祭」を思う存分楽しみましょう!そう、合言葉はドラゴォォン!!
「この「ファイナルファイト」はね、今思うと安易な企画でよく突っ走っちゃったなぁと反省もあります。アクションのフィルムスピードも香港と違ってノーマルでやったりもしましたね。この映画は台詞を英語で喋ってますが、それも香港とかアジアではなくてアメリカで当てたいという狙いもあったんです。結果、世界五十何ヵ国で上映されて、アメリカでも興行的に良い評価を受けたので、その点では良かったかな、と思っています。
ああ、ラジャ・ライオンね(苦笑)。僕は最初はラジャじゃなくて新日本プロレスの前田日明を使いたかったんですよ。それが駄目だと言う事でラジャになったんですけど、ラジャは演技してても僕が「カット!」って言う前に僕の方を見ちゃうんですよ(笑)。もう何度言ってもそれをやるんですから困りました。
あと楊斯はそれこそ僕の香港デビュー作品「悪客」の頃からの付き合いで長年の友人ですが、この「ファイナルファイト」の後はちょっと色々あって暫く会わない感じになりましたね(苦笑)。
強敵の楊斯を倒した後、僕が両手を上げて咆哮するシーンがありますが、ここもこの映画を韓国に売る時に「日本人が万歳しているからまずい。カットしろ」と揉めるんです。でもこのシーンをカットしたら、それこそ何にもならないですからね。
だから「この映画は日本映画じゃないんだ。プロデューサーは倉田という日本人だけど、スタッフは全員香港のスタッフだ」と言って、オープニングも全部作り直して香港映画として韓国では上映しましたね」(倉田保昭:談)
その最終回で取り上げるのは、そう、まさに特集の“ファイナル”に相応しい後藤秀司監督、倉田保昭制作&原案&アクション監督、そして主演を兼任した「ファイナルファイト/最後の一撃」(89)でいきましょう。
倉田さんの武打星人生を大きく区分けすると、デビュー直後の東映時代から、香港で「悪客」(72)などに出演した邵氏公司時代、その後の香港&台湾などでの出演作ラッシュ時代、さらに「帰って来たドラゴン」(74)で日本に凱旋してから「闘え!ドラゴン」(74)や「Gメン75」(75~82)出演などの全盛時代と続きますが、この「ファイナルファイト」はその後、つまり倉田さんが倉田プロモーションを設立し、自らが映画製作に進出した、言わば円熟期に主演した作品です。
映画は香港在住の格闘家である甲斐正彦(倉田さん)が後継者を育成しようと好青年リュウ(任達華)と出会いますが、そのリュウを格闘技大会でベトナムの凶悪な格闘家チョン・リー(楊斯!まさに快演!)に惨殺され、甲斐はそのショックから1度は自暴自棄になるも、一念発起し猛特訓の果てにチョン・リーとの決死戦に挑む!という展開です。
まず、私が本作で驚いたのが倉田さんを初め主要日本人キャストが全編に渡って英語での台詞に挑んでいる事です。それもちゃんと倉田さんは自分で英語の台詞を喋っている!恐らくは世界マーケットを視野に入れての決断だと思いますが、私から見ても倉田さんの劇中の英語の台詞は殆ど違和感も無く、これは相当発音などトレーニングを積んだと察します。
そしてこれまた当時も格闘技ファンの間で大変な話題となった格闘技大会出場者の豪華な面子ですが、まずは巨人ラジャ・ライオン。
撮影中は倉田さんもラジャの奇行(?)は相当苦労させられたそうですが(^_^;)、それでもこのラジャの驚異の巨体は本作に大きなスケール感を与えたと思います。
余談ですが、ラジャ・ライオンは1987年に日本武道館でジャイアント馬場と異種格闘技戦を闘った男として知られていますね。
そのラジャは馬場さんとの武道館決戦前に後楽園ホールに姿を見せると、リング上で馬場さんを挑発し視殺戦を繰り広げるという“前哨戦”を見せていたのは意外に知られていません(^。^)。
さらにストロング金剛。言わずと知れた旧名ストロング小林は国際&新日でトップレスラーとして活躍した人です。ただ金剛が役者に転向するに至ったのは持病の腰痛もありましたが、新日本での藤波辰巳や長州力相手に引き立て役を強いられると言う、ある意味“咬ませ犬”的な扱いに金剛のプライドが著しく傷ついた事もあったと思います。
これらラジャ・ライオンやストロング金剛と「燃えよドラゴン」(73)のボロ役などで知られた楊斯が格闘技大会で激突するんですから、この「ファイナルファイト」が面白くないわけがないでしょう!!
そしてクライマックスの甲斐vsチョン・リー戦。これは数ある倉田保昭の銀幕での闘いにおけるまさにベスト・ファイトになりました。
その壮絶なる甲斐vsチョン・リーの死闘の決着シーンで倉田さんが放つ渾身の空中連続廻し蹴り、これこそ倉田保昭が見せた文字通り魂を込めた“最後の一撃”でしょう。それは70年代初頭からそれこそその身一つで、香港や台湾を舞台に姜大衛、孟飛、陳星、梁小龍、王羽、上官霊鳳、黄元甲、劉家輝、何宗道、王道といった強豪たちと激闘を展開して来た“和製ドラゴン”が私たち観客に向かって叩き着けるかのように訴えかける「俺のクンフー映画に小細工は要らない。ただ肉体と肉体の激突だけで“本物”を見せていくんだ。俺は香港や台湾でこの風を斬り裂く足刀蹴りだけで生き残って来た。俺にはこれしかない。そう、これしかないんだ!!」との“一撃入魂”のメッセージなのだ!!
日本人特有の情感溢れる師弟愛、そして香港クンフー映画で鍛え学んだハイレベルかつパワフルなクンフー・アクションが見事に合致したこの「ファイナルファイト/最後の一撃」は、その後の倉田プロモーション作品「イエロードラゴン」(03)、「柔術」(10)、さらには「レッド・ティアーズ」(12)といった“This is 倉田アクション”の先駆け的作品となったのと同時に、日本を代表する本格派の武打星こそ“和製ドラゴン”倉田保昭である事を証明した記念碑的な作品となったのです。
さて、全15回に渡ってお届けしました「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」如何でしたでしょうか。明日に迫った「和製ドラゴン祭」を少しでも盛り上げようと企画したこの特集ですが、皆さんがこれら15本の倉田保昭作品を振り返る事で、改めて倉田保昭という日本が誇る本格派の武打星の偉大なる足跡を再評価して頂けたら、そして明日の「和製ドラゴン祭」をさらに楽しんで頂けたら、企画&執筆者の私としてはこんなに嬉しい事はありません。
さあ、もう言葉は要りません。明日は倉田アクションクラブ40周年記念企画第二弾「和製ドラゴン祭」を思う存分楽しみましょう!そう、合言葉はドラゴォォン!!
「この「ファイナルファイト」はね、今思うと安易な企画でよく突っ走っちゃったなぁと反省もあります。アクションのフィルムスピードも香港と違ってノーマルでやったりもしましたね。この映画は台詞を英語で喋ってますが、それも香港とかアジアではなくてアメリカで当てたいという狙いもあったんです。結果、世界五十何ヵ国で上映されて、アメリカでも興行的に良い評価を受けたので、その点では良かったかな、と思っています。
ああ、ラジャ・ライオンね(苦笑)。僕は最初はラジャじゃなくて新日本プロレスの前田日明を使いたかったんですよ。それが駄目だと言う事でラジャになったんですけど、ラジャは演技してても僕が「カット!」って言う前に僕の方を見ちゃうんですよ(笑)。もう何度言ってもそれをやるんですから困りました。
あと楊斯はそれこそ僕の香港デビュー作品「悪客」の頃からの付き合いで長年の友人ですが、この「ファイナルファイト」の後はちょっと色々あって暫く会わない感じになりましたね(苦笑)。
強敵の楊斯を倒した後、僕が両手を上げて咆哮するシーンがありますが、ここもこの映画を韓国に売る時に「日本人が万歳しているからまずい。カットしろ」と揉めるんです。でもこのシーンをカットしたら、それこそ何にもならないですからね。
だから「この映画は日本映画じゃないんだ。プロデューサーは倉田という日本人だけど、スタッフは全員香港のスタッフだ」と言って、オープニングも全部作り直して香港映画として韓国では上映しましたね」(倉田保昭:談)